色紋付


 Mallboroの茶色いフィルターを銜える。
 オイルライターで火をつければ、その火は風で揺らいだものの、無事に煙が上がった。
 深々と煙草を吸い込み、肺を満たしていく。
 肺の輪郭が浮き上がっていくような、そんな不思議な感覚がした。

 山縣寛晃は軍服の首元をゆるめながら、紐をほどいたブーツを一瞥する。
 しゃがんでブーツを脱ぎ、午後の仕事について考えた。

 山縣は、元老院議会と関東方面軍――統括軍部がある、第二天空鎮守府に所属する軍人だ。諜報部将校である。表向きは総務部の軍人だ。

 しかし裏側では各国や、47の藩の間諜とのやりとりをしている。だからいつだって忍ばせている、軍支給のものではない胸元の拳銃の存在感は大きい。

 いついかなる時も、死ぬわけにはいかない。
 自分のためにも――いや、自分以外のなんのために死んではならないというのか。
 兎に角死ぬ気だけはなかった。

 変装用にとロッカーの中に入れてあった、薄紫色の色紋付へと着替える。
 この日の仕事は、第三吉原での聞き込みだった。
 それ自体はすぐに終わったので、珍しい格好をしたから悪友の顔でも見に行くかと考える。



「どうしたんだい山縣、色紋付なんて着て」

 休日ですら軍服ばかり見慣れている悪友の姿に、執務室で朝倉が頬杖をついた。
 第二天空鎮守府の大佐――それが二人である。

「ちょっと第三吉原に出かけてきたんだよ。昔は武士、今じゃ軍人が大手を振って遊びに行くには無粋な場所だろう」
「吉原ねぇ。仕事かい?」
「他に何があるって言うんだよ」
「他にってそりゃあ遊びに行く場所だからね」
「まぁな――お前も暇そうだな。今度一緒に行くか?」

 袖の裾をつかんで山縣が言うと、朝倉が目を細めた。
 朝倉は華族の出だが、母親は吉原の太夫だった過去がある。山縣がそれを知っているのか否か朝倉は判断がつかなかった。諜報部の人間なのだから山縣なら知っている方が自然なのだが、朝倉の知る山縣は、知っていたらこういう事を言わないタイプの人間だからだ。

 吉原出身だと言うことが悪いわけではない。
 しかしそれでも、噂されることを避けるのは難しい。
 それも妾の子となれば尚更だった。

「ま、どうせお前と飲むんなら静かにお前の家ででも飲んでる方が気楽で良いけどな」

 朝倉の考えなど知らずに続けた山縣は、袖を握ってわざとらしく両手を広げた。

「着るもの一つで、印象が変わるというのもおかしなものだよな」
「――そうだね。よく似合ってる」
「だろ? まぁ、朝倉に言われても嬉しくないな」
「山縣じゃ脱がし甲斐がないからな」

 苦笑した山縣は、それから窓辺の応接セットに座った。
 今日は晴れと言い切るには雲が多い、まだ春を迎える前の日だ。

「春から入ってくる中尉や新人には脱がせたい奴が多いと良いな」
「まったくだね」
「今年こそ副官を決めるのか?」
「それもそうだな……今年はどこの戦地を回ることになるのか」

 朝倉は、武勇から”日本国の英雄”と呼ばれている。
 どんな困難が付きまとう場所であっても、機転を利かせ奇策で乗り切ると評価されている。勝利の女神が味方しているのだと。全快でかけた摩洛哥でも、皆が葬式準備を整えた中で察そうと帰還したと評判だ。

 国内で暗躍する山縣と、国外で日の光の下活躍する朝倉は、一見対極の存在だ。
 それでも二人は親友だった。
 山縣が諜報部に属すると知る数少ない一人が朝倉だ。


 それは羽染が朝倉の副官になる二年前の事だった。





「おや、色紋付なんて……」

 朝倉の家で療養している羽染が珍しいものを着ていたので、言いかけた朝倉は在りし日のことを思い出していた。自分のことを暗殺しようとした羽染を、自宅で朝倉はかくまっている。羽染は、水浅黄色の紋付をまとっていて、膝には白い子猫をのせていた。

 ――脱がし甲斐のある新人、か。

 現れたはいいものの、サクッと自分を慕う後輩と恋仲になってしまった。
 勿論ほとぼりが冷めるまでの間は、会うことなど不可能だろうが、それでも羽染の心を射止めた有馬が羨ましいと僅かに朝倉は思った。

「笑って下さい。似合ってないのは分かってるんです」

 すると照れるように羽染が顔を背けた。

「そんなことはないよ。一枚写真にとっても良いかな」

 朝倉はそう言うと、スマートフォンを取り出した。



 朝倉がその写真を使ったのは、羽染が外交官として独逸に旅立ってからのことだった。

「羽染の写真? 欲しいです!」

 仕事が立て込んでいる中、有馬が今日はそろそろ仕事を切り上げようと進言した時のことだった。有馬は基本的に、日中に集中して仕事をするタイプだから残業をほとんどしない。だが、今回は、朝倉の仕事は終わりそうにもなかった。そこで、写真と引き替えに仕事を頼むことにしたのだ。二つ返事だった。

「羽染……うわ、これ、軍支給携帯の方の待ち受けにしよ。だけど朝倉さん、何でこんな写真持ってるんですか」

 笑顔だったが、有馬は怖い。
 こと羽染がらみになると、有馬は普段は上下関係に礼儀正しいのに、
 少し子供じみた言動をとるようになると朝倉は思っている。

「あんまりにも綺麗だったからね、写真に残しておこうと思ったんだよ。有馬次右の書類お願い」
「気持ちは分かりますけど……いいなぁ。最近羽染は会っても洋服ばかりだからな。まぁ洋服も似合うんですけど」
「どちらが脱がせ甲斐がある?」
「脱がせるとかいったら怒りますからね――そうだな、いや、羽染ならどっちでも良いです」
「惚気られると仕事をする気が失せるよ」

 そんなやりとりをしながら朝倉は考えた。
 自分だったら洋服と和服のどちらを脱がせたいかと。

 ――軍服姿の山縣と、いつか色紋付を着ていた山縣の姿がそれぞれ過ぎった。

 なぜここで山縣の姿が過ぎるのか、考えたくない朝倉だった。