チョコレヰト


 ドロドロに溶けたチョコレヰトを、かつて拾い食べたことがある。
 美味しかった。

 以来、甘いものはあまり好きではない。手を汚したあの茶色が気持ち悪かったから。他に食べるものがなかった現実も思い出したくはない。

 山縣は、そんな胸中で、手にしたチョコレートを見据えた。





 執務卓に座っていると、バキリと音がした。
 顔を上げてば、そこでは山縣が窓辺に立ち、アルミ箔を半分ほどはがした板チョコを噛んでいるところだった。珍しいものを見たなと、朝倉が手を止める。

 季節は春だが、本日は夏のように暑い。

「山縣が甘いものを食べるのは珍しいね」
「そうか? 別に嫌いじゃないけどな」

 答えた山縣の笑みが、朝倉には嘘くさく思えた。
 それにしてもいきなり板チョコを食べ出したことには驚いた。今は勤務中だし、いまいち意図がつかめない。小腹がすいた? 違う気がした。

「そのチョコレート、一口頂戴」
「んー」

 山縣は朝倉を一瞥すると、歩み寄って唇に唇を重ねた。
 いっとき甘さを感じたが、突然のことに朝倉は驚いて、思わず書類の束を崩した。

「余裕無ぇな」
「山縣、あのね、僕は僕なりに本気だから。心臓に悪いことしないでもらえる?」
「二度とキスするなって?」
「違うよ、同意を得るか、そういう空気の時に頼む」

 朝倉の苦言に、山縣は肩をすくめて静かに笑った。
 山縣は朝倉のことが嫌いではない。むしろ好きだ。無二の親友である。

 しかし朝倉はさらに一歩進んだ関係を山縣に求めた。

 先に陥落するのはどちらか、日々無意味にからかう山縣と、駒を進める朝倉。
 朝倉にとって山縣の動きは、時に大胆すぎて意表をつかれる。
 例えば今だってそうだ。あんなキス、不意打ちすぎる。

 いや違うそういう問題ではない。
 なぜいきなり山縣がチョコレートを食べたのかが、当初の疑問だ。

「何が入ってるんだい?」
「プロイセン開発の毒薬」
「……」
「日本製のワクチンを俺は服用済みだ。効果を調べてるんだよ」
「どうして山縣が?」
「どうせいつか死ぬんならお前のそばがいいからな」

 最近の山縣は、そんなことばかりを言ってくる。それが本心であればどれだけいいかと朝倉は思う。

――遊ばれて捨てられても、相手が山縣ならいい気がした。

 もっとも山縣はそんなことを自分相手にできるほどには器用でない気もするが。なんだかんだで山縣は優しい。

「なぁ、朝倉ァ」
「なんだい?」
「指がチョコで汚れたらどうすればいいと思う?」
「毒薬対策は僕よりも山縣のせんもんじゃないかな」
「別に。普通のでいいんだ。普通に汚れたら」
「僕は舐める。普通は拭くんじゃないかい?」
「朝倉が綺麗にしてくれるんなら、汚れるのも悪くねぇな」

 くすくすと一人山縣が笑う。
 苦手なものを一つ克服できそうだった。別のもっと甘いものが与えられたから。

 きっと、愛、だなんて言い表してもいいだろう。

「そうだ、美味しいチョコレートリキュールを使ったカクテルを出す店がある」
「どこの女連れてったんだよ朝倉ァ」
「君のために探した、って言いたいところだけど……母の店なんだ」
「お袋さんの?」
「そう。一度恋人の顔を見せたくてね」
「いつから俺たちは恋人になったんだよ」

 互いに視線を合わせて、それから吹き出した。
 ――二人が付き合うまでもう少し。