ドロドロのどん底



 朝倉は、華族の出だ。
 とは言っても、母が家族である父の妾だったというだけだ。

 男子が産まれなかったから入った朝倉籍。
 そのせいなのか、最初は自分が華族である実感がわかなかった。
 だがそれにも慣れた。

 都内に広い家を何軒も所持し、遊び歩いている。趣味は酒。
 いつ生きるとも死ぬとも分からないのだから、それで良いと思っている。
 いいや、そもそも、だ。

 朝倉籍になった時に、人生何があるか分からないと思ったモノだ。
 だからいつだって、生死をかけたゲームをしている。人生がゲームだと思うほど子供ではなかったが、歪みだす心を正常に保とうとするほどは大人になりきれない。

 男なんてみんないつまで経っても子供だという名言は正しいと常々思う。

「朝倉、お前また新しいマンション買っただろ」
「ああ山縣に話していなかったっけ?」
「盗聴する身にもなれ」

 執務室にいた時、来訪した山縣に理不尽なことを言われて笑ってしまった。

 何故盗聴されることが分かっていて、マンションの場所を伝えなければならないというのだ。だが、山縣にそう言われると悪意は感じない。そもそもどうせ山縣には話すつもりだった。

「で? これまでとは随分違った可愛らしいマンションみたいだが、ついに結婚でもすんのか?」
「まぁ――正直迷ってはいるんだ。条件が良い娘さんがいる」
「条件ねぇ。好みなのか?」
「どうかな」

 自分の好みは、強いて言うならば、山縣とは体格に位置する部類の純粋な人間であるはずで、見合い相手の一人に決まっている女性は、箱入りのお嬢様でそれを体現しているような可憐な人だ。

 なのに――なんでもない世間話として、あるいは仕事として山縣に聞かれると、嫌な動機に体が支配される。そんな理由は知りたくないし、理解してはならないと分かっている。

 己は、子供を作るために存在している、という側面もある。
 華族の血筋を継いでいかなければならない。
 それは旧来の御家制度など打ち砕こうとしている山縣から見れば、滑稽に映るのかも知れない。そう思えば怖くもある。だが、自分の最低限の責務は守らなければならない。

「山縣は結婚はしないのかい?」
「するだろうな」

 胸がその簡単な一言にざわついた。男同士の友人同士。当然の話だ。
 この世界、適齢期になれば見合いの話しの一つや二つは出る。

「偽装結婚も大変だ」
「え?」
「仕事で結婚することもあるんだよ。ま、たまには毎日勝手に飯が出てくる生活も悪くはないか」
「それは……一生続くのかい?」
「まさか。仕事が終わればそこで終了。愛し合えば別だけどな」

 嘘だなと朝倉は思った。山縣は、仮に相手が情を持っていたら、絆されてきっと絶対に別れを選んだりはしない。山縣を取られる感覚に、身を焼かれそうになる。どうあがいても山縣を手に入れるだなんて無理なのに。歪な友情のこの形を続けることは、ただそれでも苦しいことだと朝倉は思う。

「山縣の中には、恋人と一生を過ごすという選択はないのかい?」

 余程この問いにYESと返ってきた時の方がダメージは大きいだろうと思いながらも、朝倉は問わずにはいられなかった。

「お前にだって無いだろ」
「僕には恋人がいない」
「じゃ、作ればいいだろ。適当に遊んでる相手から選べばいいだろ? 一人くらいいるだろう、お気に入り」
「……そうだな」

 ここのところ仕事が忙しくて、と言い訳しそうになった。
 最近は山縣を待っている日ばかりだから、あまり出かけていないとは言わなかった。
 そんなことを言ったら、二度と山縣は足を運んでくれなくなる気がした。
 それに、遊んでいないと言えば嘘だ。

 ――ただその相手が、少しだけ山縣に似ているという事実は、決して公にしたくはない事柄だった。山縣ならば、自分の相手のことなど調査済みかもしれないが、まさか山縣本人が似ていると思うことはないだろう。似ているのは、表情と内面だ。そうだ、恋人にするならば、あるいは――……しかし相手は、一般人だ。華族の家には迎えられない。

「ま、俺はお前がいるから、暫く恋人はいらないけどな」
「え?」
「空き時間はお前の家にいるしな」

 どうして山縣は、こんなにも欲しい言葉をくれるのだろう。
 それが悔しくて、朝倉は唇を噛みそうになった。けれど必死で抑えて、笑顔を浮かべる。

「お互い寂しい独り身だね」
「別に寂しくないぞ? お前がいるし」
「僕のことを口説いて楽しいかい?」
「それなりだな。お前は引っかからないだろ」

 ニヤリと笑って断言されて、息苦しくなった。疾うにその笑みに引っかかっているかも知れ無いだなんて認めたくはないし、知られたくはなかった。

 山縣には買いかぶられている。そしてずっと、買いかぶられていたかった。
 それがとても幸せなことだと思うからだ。
 いつまでも変わらない友情、それで満足しなければならない現実。
 けれどこの山縣と友情なんて重いが繋がっただけでも奇跡だろう。
 仮に同期じゃなかったならば、仮に同郷じゃなかったならば、決して生まれなかった縁だ。

「――僕が本気で君を愛したら、僕のことを殺すんだっけ?」
「ま、人間の考えなんて流動的で、俺は柔軟でありたいと思ってるから、その限りでも今はないかもな」
「じゃあどうするんだい?」
「ドロドロのどん底まで愛させて捨ててやるよ」

 山縣らしいなと朝倉は思ったのだった。だからクスリと笑って見せたのだった。