雨宮様のお薬で、吃驚するほど僕の傷は良くなった。
 消えてしまったのだ! 世の中ってすごい。僕の知らないことが沢山ある。ううん、雨宮様がきっとすごいんだと思う。

「紫陽、おいで」

 雨宮様が書斎で僕のことを呼んだ。本棚の前に立っていた僕が振り返って歩み寄ると、ギュッと抱きしめてくれた。クーラーがガンガン効いているけど、雨宮様の腕の中は温かい。僕は雨宮様の体温が好きだ。

「何を読んでいたの?」
「タイトルを見てただけです!」
「なんて言う本?」
「A-Bという本です!」
「……英和辞典だね。それは本と言うか……うん。紫陽は好奇心旺盛なんだね」

 雨宮様はそう言って何故か苦笑すると、僕の頭を撫でてくれた。
 僕だって英和辞典なら知っている。ただあんなに巨大な本が何冊もあることは知らなかったのだ。図鑑かと思っていた。

「紫陽は英語に興味があるの?」
「無いです!」

 だが残念なことに、僕は語学があまり好きではない。勿論”東屋”には異国のお客様も多かったから、簡単な日常会話ならば僕も少しは出来る。しかし実際に使ったことは、僕にはない。雨宮様しかお客様がいなかったのだから!

「英語は嫌い?」
「嫌いじゃないけど、日本語が一番好きです。ただ……」
「ただ?」
「沢山の人とお話が出来るのは、格好いいですよね。楽しそう」
「……俺とばかり話しているのは退屈かな?」
「まさか! すごく嬉しいです」
「それは本当?」
「はい!」

 雨宮様はおかしな事を聞く。僕は雨宮様が一緒にいてくれたら、それが一番幸せなんだけどな。首を傾げて雨宮様を見ると、不意に喉で笑われた。

「雨瑛さん――天堂元楼主に会いに行ってみようかと思っていたんだけど、俺と一緒にいれられれば良いんなら行かなくても良いかな」
「え」

 それとこれとは話が違う。そう思って息を飲んだ。すると吹き出すように笑われた。

「坂本社長が是非にって仰っててね」
「坂本社長……?」
「少なくとも俺の財界での数少ない親しい相手なんだけど。俺は、それ以上のことは何も知らないけれどね」

 知らない、と、言った時、雨宮様が天井を仰いだ。こういうお顔の時は、本当はちょっとは何かを知っているというような、嘘とも本当ともつかない……そう、そうだ、黙秘の時だ。僕も難しい言葉を覚えたな。

「紫陽が危ない目にあったら嫌だな」
「坂本社長という方は、危ない人なんですか?」
「雨瑛さんを手に入れちゃうくらいには積極的だよ」

 雨宮様が楼主様を呼ぶ名が変わっている。多分、僕の知らないところでお会いしているのだろう。僕だって会いたい。だけど。

「雨宮様が一緒なら僕は平気です! でも雨宮様がいきたくないんなら行きません!」
「――いいの? 折角会える機会なのに」
「代わりに楼主様とお会いしたら、沢山そのお話を聞かせて下さい」
「俺と雨瑛さんが会ってるって分かるんだから、紫陽は案外鋭いね」

 ギュッとまた、雨宮様が抱きしめてくれた。触れる髪がくすぐったくて、僕は照れた。
雨宮様と一緒だと、僕は未だに照れてしまうのだ。

「やっぱり一緒に行こうか」
「良いんですか?」
「いつも惚気られているからね」
「の、惚気?」
「俺達も思う存分惚気ても良いかも知れないね」

 そう言って笑った雨宮様は、すごくすごく格好良くて。
 僕はやっぱり雨宮様のことが大好きだと思った。

「紫陽のことは、俺が守るから」