白南風



 ギュッと力強く腕を回される。僕は口を雨宮様の腕に押しつけて、そのさわり心地のいい着物の感触を楽しんだ。温かい。今晩は何をするでもなく、ずっと二人で抱き合っている。勿論宴会用のお座敷だから、何かしては行けないのだが。

 なんだかそうしているのがすごく幸せに思える。そんなに誇れるような体をしているわけではないが、僕の体だけが目的ではないのだと、ついぞ思ってしまうからだ。いやもう体だけでも良いのかもしれない。僕は雨宮様と一緒にいられたらそれでいい気がした。

「何を考えているの、紫陽」
「雨宮様のことです」
「俺も紫陽のことを考えているよ」
「本当ですか? 僕のどんなこと?」
「――そうだな。紫陽はどうしてこんなに綺麗なのか、とかね」

 雨宮様が僕のあごに手を添えると、上を向かせた。
 真正面から雨宮様の黒い瞳をみると、僕が映り込んでいるみたいだった。
 この近い距離が嬉しい。胸が温かくなるのに、ドキドキするのだ。

 今日も真っ白い雲の下、梅雨明けを知らせるような風が吹いていたから、もうすぐこんな時間は終わってしまうのかもしれない。白南風が憎い。梅雨と一緒に雨宮様のこともどこかに連れて行ってしまうかもしれないからだ。そんなのは嫌だった。

 雨宮様を見送ってからはまた一日、雨宮様のことだけを考えて一日を過ごした。


 本当は他にも考えなきゃならないことは沢山あるんだと思うのだが、他に何も考えられなかったのだ。その次の夜は体を重ねた。

「ん、っ、ふあ、あ……ああっ、あ、ン」

 雨宮様の手が、僕の陰茎の側部をなで上げる。
 繊細な指の動きに僕の体は震えた。形をなぞられ、そのたびにゾクゾクと快感がはい上がってくる。もう一方の手では菊門の襞を一枚一枚、撫でられていた。

「あ、ああっ」

 もう今では、雨宮様に触られるだけで、僕の体は蕩けはじめる。力が抜けていくだけではなくて、本気で感じているふりなどする暇がないほど、いちいちカッと全身が熱くなるのだ。きっと蕩けるチーズってこんな気持ちなのだろうと思う。僕は、パンにぴったりになれるかもしれない。

「あ、ああン……っ、あ、雨宮様、大好きっ」

 なんて思っていた日もあった。大好きなのは変わらない。





 ――現在僕は、身請けされ、雨宮様と一緒に朝ご飯を食べる毎日を過ごしている。

 そして今日僕の目の前には、トーストがある。チーズののったトーストが。思わず過ぎった過去の思いに、僕は赤面した。チーズの気持ちが分かるって、当時の僕は一体何を考えていたのだ……!

 恥ずかしくて、とてもお腹が減っているのに、パンに手が伸ばせない。

「紫陽は、こういう食べ方は嫌いかな? 塗る方が良い?」
「いえ……」

 そういうことではない、そういうことではないのだ。
 僕はそもそも洋食をあまり食べたことがなかったから、塗るのだって食べてはみたいのだが……なんというか。

「どうかしたの紫陽。顔が赤いよ?」

 すると心配そうに口にした雨宮様が立ち上がり、僕の所へ歩み寄ってきた。
 ピトリと額に触れられて、羞恥で僕は俯いた。

「ち、違うんです」
「じゃあ、どうしたの?」

 周囲にはお手伝いさんがいたので、僕は雨宮様の腕をつかんで引き寄せた。
 そして耳元で告げた。小さな小さな声で、チーズの気持ちが分かることを告げたのだ。
 すると虚をつかれたような顔をした後、雨宮様が声を上げて笑い始めた。
 さらに恥ずかしくなってしまって、両手で顔を覆う。

「可愛いなぁ紫陽は」
「っ」

 馬鹿にされている。この言葉は馬鹿にされていると思うのだ。
 雨宮様は僕の頬を撫でながら、ニコニコ……というよりもなんだかニヤニヤと笑っていた。酷い。

「じゃあ俺が食べさせてあげるよ」
「え」
「はい、あーん」

 パンを差し出されたので、僕は思わずかぶりついてしまった。ホテルブレッドに僕の歯形がついた。何でここはホテルじゃないのにホテルブレッドというのだろう。チーズののったトーストは美味しかった。

 それから食事が終わり、今日は雨宮様のお仕事がお休みなので、二人でリビングに移動した。洋室だ。僕の怪我が治ってから、三つ目に建ったお屋敷である。この館には、和室は二つしかない。神棚があるお部屋と、仏壇があるお部屋だ。吉原では和室にしか馴染みがなかったから、いまだに戸惑うことが多い。

 吉原で、特に東屋で洋室と言ったら、一番目立っていたものはそれこそお手洗いだ。
 なんだかそう考えていくと、吉原が懐かしい。

 僕は雨宮様に貰った打掛を、もう長いこと来ていないなと思い出した。
 相変わらず普段は和服を着ていることが多いが(洋服を着たことは数えるほどしかないが)、さすがに打掛は着ない。

「どうかしたの、難しい顔をして」
「雨宮様にいただいた打掛のことを思い出していて」
「ああ……久しぶりに、君が着ているところをみたいな」
「僕も着たいです」
「うーん。悩むな」
「雨宮様?」

 三つあったからどれにするか悩んでいると言うことだろうか?

「紫陽がまた俺以外の誰かに買われそうになっているなんて考えにとりつかれそうになって心臓に悪いんだよね」
「?」
「紫陽、どこにもいかないでね」
「行きません! ずっとおそばにいさせて下さい!」

 それこそ望むところだった。


 ――その日の夜は、久しぶりに打掛を着た。

「あ、ああっんあ、あ……ひぅ」
「綺麗すぎて嫌だな、なんだか」
「あ、あ、もっとっ……ッ……んぅ」

 いつもよりも雨宮様が激しくて、僕は首にしっかりと両腕を回した。
 すると首筋に口づけられて、体がしなった。

「ああっ、は、ン……あ、あ、動いてッ」
「勿論」
「ンあ――――!! あ、あンあ」
「紫陽きつい、ちょっと力を抜いて」
「で、できなッ……あ――――!!」

 片手で胸の突起を弄られながら、下から突き上げられる。その感触だけで僕は果ててしまいそうだった。どうして雨宮様はいつも余裕なんだろうと思った。

 ――違う、余裕そうに、見えるだけだ。だって今日はこんなにも激しい。体と体が交わる音が、静かな室内にこだましていく。

「ん、あ、ア――――!! やぁああ!!」
「ッ、出すよ、紫陽」
「あ、あああ!!」

 僕もまた精を放ち、ぐったりとした。すると、いつかのように、雨宮様がギュッと抱きしめてくれた。まだ繋がったままだが、そのせいかもしれないが、不思議と満ちあふれたような気持ちになった。なんなのだろう、この気持ちは。

 二人きりのこの部屋では、この館では、そして今では二人で歩むこの世界では、もうなんだってしてもいいのだ。そう思うと、自然と頬が持ち上がった。

「ねぇ、紫陽。本当にずっと一緒にいてくれるかい?」
「はい。雨宮様こそ、僕とちゃんとずっと一緒にいてくれますか?」
「うん」
「約束ですよ。じゃないと僕、蕩けて無くなっちゃいます」
「それは困るな。無くなる時は、俺に食べられた時だけにしてもらえるかな。いや、食べても食べてもなくならない紫陽でいて欲しいけどね」

 そんなやりとりをしてから、二人で同じベッドで眠った。そんな毎日が幸せだった。