契約結婚の荊棘



 同性婚法案が施行されて一年――とはいえ、まだあまり国民には浸透していない。僕の父親の肝いりの政策だっただけに、最近では僕の肩身も狭い。内閣総理大臣の息子なんていうのは、少しの時勢で立つ瀬がなくなる。就任直後は高校でも近寄ってくる人間ばかりだったが、支持率が低迷している現在では、僕は率直に言って遠巻きにされている。

 僕の家は、代々首相を輩出してきた名家だ。歴史も長い。僕も当然、将来的には政治家になる事を期待されている。僕自身もその為だけに、これまでの十七年間、様々な事柄に堪えてきた。そんな僕を父が呼び出したのは、青嵐が吹く夜だった。

「――結婚、ですか?」
「そうだ。同性婚を普及させるため、まずは率先して当家から象徴たる事例を挙げたいのだ。相手は、後援人の中でも最高峰、国内でも有数の資産家――柊家と言えば分かるな? 現状では、所詮は異性愛者の総理には、同性愛者の気持ちなど分からないと言われ続けることになる」
「先方はそれで良いと……?」
「無論、契約結婚だ。利害は一致している。七季、お前は何も気にする必要はない」

 この日、父からもたらされた結婚の話によって、僕は己が父の駒である事を再確認させられた。翌日には、形ばかりの見合いの席が設けられる事になり、僕には拒否する権利などどこにも無かった。

 一年かけて結納を済ませ、翌年、僕が十八歳になった年に、大々的に結婚式が行われた。それまでの間、僕は数度しか、今後共に暮らす事になる相手と、顔を合わせなかった。僕の夫となった相手――柊伊織は、非常に多忙な人物である。

 彼は若干二十七歳にして、いくつもの会社を束ねるグループの会長をしている。柊家も歴史が古く、華々しい業績と相まって、名実共に柊伊織はこの国の若き重鎮の一人だ。艶やかな茶色い髪と切れ長の瞳をしていて、形の良い唇は一見甘い。だが時に見せる眼光の鋭さが、老成した空気を醸し出している。

 ――今日から一緒に暮らすのか。

 式の翌日、僕は新居の前に立った。都内にいくつもある柊の家とは別に、新婚生活のためだけに建てられた洋館がそこにはあった。柊家の執事と秘書の一人に促されて中へと入ると、まず正面には毛足の長い橙色の絨毯が流れる白亜の階段が見えた。硝子で造られた薔薇の花束が、階段の左右の巨大な花瓶に生けられている。

 あてがわれた自室へと向かい、僕は南の角部屋から、窓の外を見た。そちらには、本物の薔薇が咲き誇っている。ジューンブライドだとメディアに騒がれた結婚式でも、至る所で多種多様な薔薇が用いられていた。その理由を、僕は知らない。知らない事は、もう一つある。父は僕に、『利害が一致している』と口にしたが、僕との婚姻が果たして柊家にどんな利益をもたらすのかが、まるで分からないのだ。

「来ていたのか」

 その時、声がしてから扉を叩く音が響いた。振り返るとそこには、気配なく訪れた柊伊織の姿があった。

「お世話になります」
「――そう畏まらないでくれ。今日からは、ここは君と俺の家なのだから」

 そう言われても困るというのが本音だったが、僕は作り笑いには慣れている。唇の端を持ち上げて、僕は小さく頭を下げた。どうせ多忙なのだから、彼は滅多に帰宅しないだろう。内心でそう考えていると、鞄を近くの椅子に置き、彼が歩み寄ってきた。

「一目見た時から、七季君には、薔薇が似合うと思っていた。一見甘いというのに、荊棘が近寄るのを拒む所が」
「それは、どういう意味ですか?」
「――無理をしてでも手折って、自分のモノにしたくなる。やっとそれが叶った」

 彼の言葉の意味合いが分からず、僕は首を傾げるしかない。

「一目惚れだったんだ。このような独占欲を覚えたのは、初めてでね。どうすれば手に入れることが出来るのか、ずっと考えていたんだ。代わりに薔薇を育てては、何とか自分の欲望を抑えようとしたのだけれどね、やはり本物には叶わない」
「一目惚れ……?」
「君がお父様に連れられて、俺の会社の夜会に顔を出した五年前から、ずっと俺は君の虜だ」
「っ」

 不意に彼が、僕を後ろから抱きしめた。突然の事というよりも、結婚するのだからと覚悟していた肉体関係を意識して、僕は硬直した。体が強張り、指先が震えそうになる。必死で恐怖を制していると、彼が僕の耳朶を噛んだ。

「勿論、分かっている。君はお父様の力になるために、俺と結婚した。その見返りとして、俺は今まで以上の援助をする。いいや、逆だな。君を貰った見返りに、俺は契約料としていくら出しても惜しくはない。七季君が手に入るならば」

 そのまま腕を引かれて、そばにあった寝台に、僕は押し倒された。緊張して鼓動が早まる。彼の言葉の意味は、いまだによく分からない。

「ぁ……」

 強引にシャツのボタンを外されて、僕は涙ぐんだ。胸の突起を優しく舐められた時、恐怖が最高潮に達して、思わず声を出してしまった。震える手で押し返そうとすると、手首を取られて、そして深く口づけされる。

「ん」

 舌を絡め取られると、鼻を抜けた声が漏れた。口腔を貪られながら胸を愛撫される内、僕の体の奥深くに快楽の芯が灯る。右手が下衣の中に忍び込んできたのはその時で、緩慢に撫で上げられた瞬間、僕は震えた。誰かにこのように触られた事など無かった。

「伊織さん……待って下さい……」
「もう待てない。悪いな。君は俺の奥さんだ。拒否する権利は無い」
「ああっ」

 手の動きが早くなる。それから服を全てはだけられるまでには、そう時間を要しなかった。抵抗する暇もなく、僕は一糸まとわぬ姿にされて、今は、後ろの襞を舐められている。丹念に解すように蠢く舌の感触に、僕はギュッとシーツを握った。

「あ」

 その後、ローションを纏った指が、僕の中に入ってきた。事態が急すぎて、理解が追いつかない。必死に息をしていると、指先がある一点を突いた。

「ああっ」
「ここが好きか?」
「ひっ……ぁ……そこ、あ」

 見つけ出したその箇所ばかりを、重点的に彼が刺激する。そうされると全身にジンジンと白く快楽が響いてきて、今度は快楽から涙を流す結果となった。しばらくの間そうされていたから、指が抜けた時は、逆に更なる刺激を欲して一瞬僕は寂しさを感じた。

「ああああっ」

 直後、入れ替わりに、太い楔が挿入された。緩慢に、だが実直に進んできた彼の陰茎は、既に膨張していて、指とは比べ物にならないほど熱かった。硬い屹立した肉茎が、僕の中を暴いていく。入りきった時、僕は喘いだ。

「うああっ、ああ! 嫌、あ、ああっ」

 もう逃げられないのだと、僕は悟った。彼は僕を薔薇だと言ったが、彼の方こそ僕に絡みついて離れない荊棘のような印象を与える。

「うあ、ああっ、待って、まだ動かないで、あっ」
「こうして見るとまだまだ子供だな。俺の奥様は、初々しい。気持ち良いか?」
「あっ、ぅあ……ン、ん――!!」

 僕が何か言おうとした時、彼が動き始めた。もう嬌声以外の言葉が出ては来なかった。



 ――なんでも、彼は仕事の休みを捻出していたらしい。
 以降、僕は昼も夜も問わず、彼に体を貪られた。どんどん体を開かれていき、現在では彼に触られるだけで、僕の体は熱を持つようになってしまった。今など、膝の上に乗せられ、抱きしめられているだけだというのに、異常な程体が熱い。耳の後ろ側を舐められているだけなのに、僕の陰茎は反応を見せている。顕になった僕のものからは、透明な蜜が垂れている。それを時々指先で掬っては、意地悪く彼が僕の後孔の入口を刺激するのだ。

「どうして欲しい?」
「挿れて……」

 覚えさせられた言葉を告げると、彼が喉で笑った。そうして貫かれ、僕は快楽に涙する。気持ち良い。もう、彼無しでは、僕は呼吸も出来ないだろう。ここのところ僕は、彼のことばかりを考えている。

 下から突き上げられた形で、僕は震えた。根元まで入りきると、彼が動きを止めた。気持ちの良い場所から逸れているから、僕の蕩けきった体は快楽を求めて、自然と動きそうになる。

「ぁ……ぁ……う、動いて……」
「君が俺を好きになってくれるまで、動くのは止めようかな」
「や、あっ、うァ……ン」

 抱きしめるようにされ、僕は動きを封じられた。気持ち良すぎて涙が溢れる。だが、足りない。僕の顎を持ち上げた彼が、深く唇を重ねてくる。その刺激も辛い。

「ああああ――!!」

 そのまま僕は果てた。繋がっているだけで、果ててしまった。全身に冷たい熱が水面のように広がる。彼の形を覚えこまされ、そこに彼がいるだけで、僕の快楽の芯が大きくなっていく。その後も数時間、ただ繋がっているだけで彼は動かず、その状態で何度も果てた僕は、とっくに理性など無くしていた。


 目が覚めた時、彼は僕を腕枕してくれていた。二人きりの寝台で、僕は端正な顔の彼を見る。気づいた彼は、僕を抱き寄せると額にキスをした。

「良かったら、これを貰ってくれないか?」

 そう言って彼が、僕の左手の薬指に、巨大な薔薇がついた指輪をはめた。アメジストとルビーの花弁が光っている。花弁はダイヤだ。結婚指輪の上に鎮座したその豪奢な指輪を見て、僕は小さく息を飲んだ。

「これは……?」
「柊の当主が、ただ一人、愛する者に贈る指輪だ」
「そういった物は……」

 契約結婚なのだから、本当に好きな愛人でも囲って、そちらに渡すべきではないのだろうか。そう考えた時、彼に自分以外の相手がいる姿を思い浮かべてしまい、僕の胸が痛んだ。そこで初めて、僕は気づいた。僕は、僕こそが、彼の、柊伊織の虜になっている事実に。改めて彼を見ると、彼は苦笑していた。

「君以外に渡すつもりはない」
「――僕、伊織さんの事が好きです」

 思わず告げると、彼が息を飲んだ。そしてさらに強く僕を抱きしめると、小さく笑った。

「嬉しいよ。これで――俺達は、本当の夫婦になれそうだ。愛してる」
「僕も愛してます」

 その後もう一度交わったのだが、それはいつもよりも濃厚で、これまで以上に心が満たされた。愛が伴う性行為の快楽は、段違いのものだった。僕はこの時、彼の愛を盲目的に信じていたし、それは疑いようも無かった。


 法改正が行われ、事実上、同性婚法が消滅する事になったのは、三年後の事だった。僕の父は失脚した。周囲は、柊の将来を思うなら早急に離婚しろと僕に勧める。結婚以来、大学に行くこともなく、就職経験も無い状態で、僕はずっと家にいた。今の僕には取り柄もなく、父の威光も潰えているため、周囲の言葉は正しいのだろう。

 結婚後の最初のあの休暇以来、多忙な彼とは、月に一度会えれば良い方だった。僕は薔薇園を眺めながら、ただ静かに彼の来訪を待っているだけの暮らしを送っていた。僕は、これからどうすれば良いのだろう? 彼に会って、彼に聞きたかった。彼のそばにいたい。だが、愛していると思うのだからこそ、身を引くべきなのだろうか?

 ――彼が次にやってきたのは、結婚記念日の夜だった。

「中々仕事が片付かなくてね」
「お疲れ様です」
「いや、全ては俺自身のためだから」
「――あの、僕はこの家から出て行った方が良いでしょうか?」

 僕は率直に聞く事にした。すると彼が無表情に変わり、僕をじっと見た。

「どうして?」
「同性婚はもう――……」
「許さないからな。第一、今この家を出て、君は一体どこに行くつもりだ?」
「それは……」
「――燈花元首相は行方不明だ。燈花家は実質、潰れたに等しい。君自身には、収入を得るすべもない。違うか?」
「だからこそ……ご迷惑をお掛けするわけには……」

 俯いた僕の声に、音を立てて彼がグラスを置いた。

「迷惑? 俺の事を想うなら、二度とそんな事は言わないでくれ」
「伊織さん……」
「君はもう俺のものだ。決して逃しはしない――その為に、君のお父様を失脚させる手引きをして、君の帰る家も俺は奪ってきた。忙しいのは、その仕事だったんだよ」
「え?」
「さらに一度同性愛者のイメージがついた君には、他の縁談も来ないだろう。君の再起は不能だ。俺のそばにいる以外では。一生、俺のそばにいてもらう」

 その言葉に、僕は目を見開いた。何を言われたのか、分からなかった。僕はこの時になって初めて、柊伊織の強すぎる愛情を知った。だが――もう逃れられないことは、僕のほうがよく分かっている。とうに絡め取られていた僕は、彼の言葉に嬉しさすら感じていたのだ。こうして――僕と彼の歪な結婚生活は、永劫続いていくのだった。