俺の世界は滅びるらしい。




 夢は醒めないし、弱さは許されない――それがこの世界だ。合法のドラッグを個人輸入して飲んでいる友人と、病院でお医者様からお薬をもらって非合法にたまに友人にあげる俺。ああ、声がする。

 幻聴なんかじゃない。
 俺がもらっているのは、そう言う薬じゃなくて夜を飲み込み眠るための薬だからだ。あの苦い錠剤を酒で四錠飲まなければ、俺は眠れない。

 そんな自分に吐き気がした。
 もう全てが嫌だった。死にたいわけでも消えたいわけでもない。そんな思いはとっくに諦めた。だからせめて社会の歯車に戻ろうとしたのにそれもできない。

 俺には何の価値もない。
 SEXして寝入ってしまった友人。隣で煙草を吸う俺。
 ――体を重ねているのに、俺達はただの『友人』だ。
 それはきっと、『友達でいてくれるだけでも幸せなんだ』と思うべきである現実の象徴だ。友人の側にしか、少なくともこの夜俺の居場所は無かったし、それで良かった。

 遊ばれているのだと言うことは分かっている。いつもそうだからだ。
 ああ、もうすぐ四月二日になる。昨日は、愛していると言われた。
 酷いエイプリルフールのネタだ。嬉しくて号泣した俺が、どうしようもなく恥ずかしい生き物に思える。

 ――嘘だよ。

 そう囁いた声は、本当に優しかったが、その分俺は上手く笑えなくなっていった。

 ――俺に愛されると辛いんだ? だから泣いてるんでしょう? 酷いな。

 馬鹿にするように、そう言って笑った友人は、とっくに俺の気持ちに気がついてるはずだ。俺は確実に遊ばれている。

「あれ、起きてたの?」

 その時友人が目を覚ました。俺は瞬きをしてから緩慢に視線を向け、煙草の灰を落とす。雪によく似ているのに、俺が落としたせいなのかとても汚れて見えた。それでも黒い灰皿の中に散る姿は、きっと俺よりは綺麗でずっとましなのだろう。

「ああ」
「もう一回する?」
「……明日も仕事だから寝るわ」
「いや、するから」

 友人はそう言うと、俺の後頭部に手を回し、体を引き寄せた。
 触れあう皮膚と皮膚の温度に、俺はきつく目を伏せる。この体温にいつだって飲み込まれそうになるのだ。その理由なんて分かりきっていた。俺は彼のことが好きなのだ。ただそれだけだ。唇に触れるだけのキスをされ、鎖骨を強く吸われる。

「ンあ」
「敏感だよね、本当」
「違う、そんなこと無い」
「じゃあ俺が巧いからだって思っても良いのかな?」
「うあああ」

 腰のくびれを急に撫でられ、俺は震えた。まだ先ほどの行為の感覚を覚えている俺の体が歓喜した。もどかしいのに、気持ちが良いのだ。そんな自分に絶望するしかない。俺は、もう友人なしでは生きられないと思う。骨張った指の感触、指の腹の蠢き、ソレは羽で擽られているようで、なのにどこか力強いという矛盾。

「あ……ッ……」
「まだ解れてるね。挿れていい?」
「ま、待っ――ッフあ……ン……――ぁああ!!」

 毛布をはぎ取られ、横から太ももを持ち上げられた。
 口でゴムの四角い袋を破って、片手で器用に装着しているのが分かる。そのまま一度太ももの皮膚をなで上げられてから、友人が肩に、俺の足を乗せた。

 そして反り返った固く長い物が挿いってくる。友人はいわゆる絶倫というものなのだろう。その上何度しても性欲の衰えも見えない。

 例え半分ほどしか勃起していなくとも、俺の中へと腰を進めるとどんどん太く伸びていくからだ。内部でその感覚知ると、俺の声はもう止まらなくなってしまう。

「ああっ、ああ!! も、もう、ア」
「本当、早漏」
「違ッ――う、ぅァ、あ、ン――!!」
「どうして欲しいか言ってみな?」
「や、やだ、動いてもっと、ねぇ、ああ!!」

 小刻みに腰を動かされ、俺は肩で息をしながら言う。涙が浮かんでくるのが分かる。
この角度だと、俺のおそらく前立腺だろう場所に必ず当たる。俺が断ろうとすると、いつも友人はこの体位をとる。

 俺は元々はこういう事はしたことがなったし、同性と体を重ねる日が来るとは思っていなかったから、詳しくは知らない。ただ先ほどの行為の際のローションで、俺の体はまだ確かに解れていたらしいのは分かる。

 すんなりと入ってきた上に、今、グチャグチャと音を立てているのだ。その水音に羞恥が募って、きつく目を伏せる。

「駄目だよ。動かない」
「な、んでッ……ァ、あ、あ」
「ちゃんと目を開けて。どうしていつも言ってるのにな、まぶたを閉じるかな」
「ああ、あ、ッ、ま、待って、そ、そこずっと刺激されたら、俺――ッ」
「気持ちいいんだろ?」
「ああァあア――――!!」

 ぐりぐりと先端を中の一点に押し当てられて、俺はそれだけで果てた。今日だけで三回目の絶頂だ。俺も人のことを言えないくらい、絶倫なのかもしれない。だけど、もう無理だ。これ以上されたら、もう苦しくなるだけだ。訳が分からなくなってしまうだけだ。

「や、やめ」
「無理無理――ほら、動いてあげるから」
「あ、や、ャ――……ひ、ァまだ、あああああ!!」

 それから感じる箇所を重点的に突き上げるように今度は腰を激しく動かされ、俺の理性はとんだ。

 腰が自分でも動くのが止められないのに、体中が弛緩して、思わず友人の肩に手を回して、爪を立ててしまう。多分痕がついてしまったと思う。

「痛いな。なにすんの?」

「あ、あ? ああ、あ、あああッ、俺、俺――うアぁァ!!」
「もうちょっと出来るよな?」
「う、……あ、はァ、ううンっ……――ああああ!!」
「その声動物みたいだな。爪たてるし、お前、ネコかな。にゃあっ
て、言ってみ?」
「ふざけ、ァ、あッ」
「言えよ」
「ッ……――!! あ? あ、ああああああああ!!」

 前をきつく握られ後ろを何度も刺激され、俺は中だけでイった。空イキしてしまったのだろう。グラグラと視界が揺れて真っ暗になる。

 ちかちかとソレと現実世界が交錯して――……それからプツンと意識がとぎれた。

 目が覚めると、友人はいなかった。俺は一人きりで自分の部屋にいた。
 シャワーを浴びに行ったわけでも、朝食を用意しに行ったわけでもないと、俺は知っている。俺は今日みたいに、寝過ごして仕事を開始する時間が遅れることがあるけれど、どんなに共に夜を明かそうとも、友人は必ず仕事へと行くのだ。午前六時に。

 俺の仕事はゲームのテスターだから、自宅作業だ。業務委託だ。
 だから俺の方は、比較的自由になる。だけどそれだけが理由じゃないと思う。
 俺は出来る限り長く夢を見ていたいのだ。友人が側にいるという錯覚のもとで。

 抗不安薬を噛みながら、俺はベッドから降りた。
 この病んだ世界では、さして珍しいことでもないだろう。気分が落ち着く薬を飲んでいる人間の数を数えることの方が、今からシャワーを浴びることよりもずっと怠いはずだ。

 温水で体を濡らし髪を洗ってから、俺は朝食の代わりの珈琲を飲む。

 PCへと向かって仕事のメールを確認する。

 するとセグネント社から、昨日の十一時五十九分付けで、至急テストをして欲しいという依頼があった。友人がゲームクリエイターをしている会社だ。俺達の出会いも仕事だ。仕事相手から友人になれただけでも良いのだろう。

 忘年会に呼ばれ、×ゲームでキスされて、そのままノリで『一緒に帰るか? 送っていくから』と言われ、『あ、じゃあお願いします。本気で惚れちゃいますよ』なんて返したら、本当に自宅まで送ってくれて、トイレを貸してくれと言われて、同性だし飲んだ後だったから普通に貸したところ、そのまま抱きしめられて、気づいた時には裸に剥かれて、ゴムとローションを取り出され、絨毯の上で流されるがままにイかされて、俺は快楽をたたき込まれた。

 その時ですら、やはり朝はいなかった。今朝との違いはと言えば、置き手紙で『帰ります』という言葉が残されていたことだろう。今思い出しても、手慣れすぎていた。

 酔いのせいだったのか、痛みよりも快楽ばかりが記憶に残っていて、次に仕事で会ったときに、普通の顔をしている友人を見て、意識しすぎて挙動不審になった覚えがある。二度目を誘われたのはその日で、この関係はそれ以来だ。

 ――十二時頃か。

 その頃は一回目が終わった後で、すっかり眠っていた。だから深夜対応なんて出来なかったから、『今からでも良いか?』という返事を丁寧な言葉に書き換えて送信した。

 同時に、記載されていたURLにアクセスしてみる。新規でユーザ登録して欲しい、キャラクター作成までを行って欲しいと、そう書いてあった。返事が例え、今からでは不可だというものであっても、クリックするくらいは良いだろう。

『YESかNOを選択して下さい』

 PCの画面に表示されたその言葉に、退屈だなと思いながらYESをクリックする。

『キャラクターの性別を選択して下さい』
「男」
『キャラクター名前を入力して下さい』
「……本名で良いか。あっちも不要なデータならデータベースから消しやすいよな」

 俺は、日向湊(ひゅうがみなと) と入力した。友人は俺のことを、二人きりの時は湊と呼ぶ。だが俺は未だに、友人の名前が、春日直(かすがなおみ) 海だと知っていても、春日さんとしか呼んだことはない。もっとも、俺は名前なんて滅多に呼ばないが。おい、とか、あの、とか、そんな感じだ。むこうもそんなようなものだ。

 そんなことを考えながら、キャラクターを作成していく。すると最後に――……

『貴方の転生後の器は作成されました。十二時間後に、貴方は異世界へとトリップします』

 ……――と表示された。
 何が起きたのかよく分からなかった。ただ、仕事用のPCがその瞬間に、落ちたのは分かった。仕事用のメールアカウントは他のアドレスにも随時保存しているから、問題はない。だが……何故なのか、PCはそれっきり起動しなくなってしまった。

 異世界へトリップ? どういう意味なのだろう。異次元ならまだ分かる。スイスで量子研究がされているとニュートンで読んだことがある。

 首を捻りながら立ち上がり、とりあえず珈琲を淹れようと思ったときだった。

 携帯電話が震えた。
 見れば非通知からの着信だった。仕事柄、俺は必ず出る。非通知にしている企業もあるからだ。案外多い。

「はい、日向です」
『異世界へ行く準備を始めて下さい』
「……」

 響いてきた機械的な音声に、俺は硬直した。

『異世界へと持って行けるものは、購入する必要はありません。PCに入力して下さい』

 その言葉とほぼ同時に、俺のデスクトップが再び光を放ち始めた。
 おかしなウイルスに感染していて、この電話相手がその所行をした相手と言うことなのだろうか。

『異世界は、中世ヨーロッパ風の、剣と魔法の世界です』
「冗談は止めろ」
『信じようと信じまいと、貴方は約十二時間後には異世界へとトリ
ップし、永劫その腕の中で生きることとなります』
「なんだよそれ」
『現在貴方が現実だと認識しているその世界は、十二時間後に滅び
ます』
「いいかげんにしてくれ、切るからな」

 誰かにからかわれているのだろうとは思ったが、ついキツい口調で言ってしまった。
 だが、こんな事をする相手の記憶はない。

 俺が思案していると、そのまま電話は切れてしまった。携帯電話を持ったまま呆然として立っていると、すぐにまたソレは震えた。ビクリとして、画面を見ると、そこには『客先セグネ春日』と表示されていた。友人からだった。ほぼ無意識に通話ボタンを押す。

『もしもし? 起きたか?』
「……ああ」
『これから至急頼みたいテストがあるんだけど』
「昨日の夜のゲームなら、完全なバグだ」
『昨日の夜? 何の話? 他の仕事と混同してないか?』
「……悪い。そうだった。あのな……――」

 俺は現状を相談してみようかと考えた。だが、なんて相談すればいいのか分からなかった。いきなり『異世界にトリップすることになった、と言われた』なんて告げたら、俺の病状悪化を疑われるのは確実だ。きっと妄想だと思われる。

 友人は、俺が精神的に脆いことを知っている。ゲームなんかよりも、PCなんかよりも、よっぽど俺の方に脆弱性があるのだ。

「――……何時頃、来る?」
『は?』
「いやその……」

 思えば自分からそんなことを聞いたのは初めてだった。いつも友人はいきなりやってくるし、俺はただソレを待っていたからだ。

『今日は行かないつもりだったけど、じゃ、行く。十時はまわると思うけど』
「……十時、か。なんとかその、九時半くらいまでに来られないか
?」
『なんだよ急に。何かあるのかな?』
「無いけどな……その……あ、会いたいんだ」

 俺は気づけばそう口にしていた。すると電話の向こうで息をのんでいるのが、伝わってきた。面倒くさいと思われたのかもしれない。二度目に来たときに、『俺、面倒な相手は嫌いだから、日向君が良いんだよね』と言っていたからだ。あのころは、名字で呼ばれていたのだ。

 俺だって体調的には随分と面倒だろうけど、薬を渡しているせいか、その件に関して友人は何も言わない。ただいつも、『俺達友達だよね?』と言うのだ。

 それに別にあの悪戯電話を信じたわけじゃなかった。だけど無意識にそう言っていたのだ。だから言ってから後悔した。

『ふーん。じゃあ仕事が終わり次第行くけど、約束は出来ないよ』
「ああ……その、無理はしなくて良いから」
『何かあったの?』
「無い」
『――病院ちゃんと行ってる?』
「ッ、ああ。毎週薬渡してるんだから分かるだろ。本当、何でもないから」
『そ? なら良いけど。それで?』
「え?」
『だから仕事。テストしてくれるの? 俺が組んだプログラム』
「あ、その……PC壊れたわ」
『……他社優先じゃないよな?』
「違うから」
『信じるからな。そう言うことなら、帰ってから案件の話するから』

 通話はそれで切れた。
 俺は携帯電話を握りしめたまま立ちつくした。同じ『通話』だというのに、一瞬前の電話の記憶が、愛しい声で塗り替えられた気がする。

 その分焦燥感に苛まれた。もしもあの電話が本物だったら――最初の電話が本当で、この世界が滅んでしまうとしたら?

 考えてみる。
 ――……どうやら俺の世界は、十二時間後に滅びるらしい。そもそも、世界? 地球じゃなくて? 文明社会じゃなくて? 世界って……俺の世界? 嗚呼、俺が消えるのか。

 信じるのは到底無理だと思うのに、俺『が』消えると考えると、不思議としっくり来た。
 俺が今ここにこうやって立っている理由は、この世界に、春日さんが存在するから、ただそれだけだと気づいたからだ。

 ――どうせ冗談だよな?
 唾液を嚥下し、俺はPCの前に座り、黒い画面の中央に浮かんでいる入力画面にカーソルを当てた。マウスは動く。そして迷わず、『春日直海』と入力した。

『生物は持ち込めません』

 すぐにそう返ってきた。体が震えた。純粋に、この状況が怖いというのもあったが、一番怖いのは二度と友人に会えなくなることだった。

 嗚呼、時計が進むのが早い。

 とっくに二十一時半を回っていた。俺は一日中椅子に座って、ただ入力画面を見ていた。ひらがなで入力してもカタカナで入力しても、ローマ字で入力しても、全部駄目だった。

 ――生物は持ち込めません。

 だから、『友人』といれても『恋人』といれても駄目だった。そもそも『友人』と入力したら、『その人の名前をフルネームで入力して下さい』と出て、人名を入れれば、『生物は持ち込めません』だ。

 『恋人』にいたっては、『存在しません。貴方は誰とも付き合っていません』と出る。『好きな人』と入力して、『その人の名前をフルネームで入力して下さい』と言われ、俺はまた『春日直海』と入力して、『生物は持ち込めません』と言われて絶望した。

 ガクガクと体を震えが走り抜けて、もう何をする気も起きなかった。
 ただ秒針の音だけがいやに耳に障る。

 ――後十二分で十時になる。

 その時鍵の回る音がして、扉が開いた。チェーンは、友人が帰った時のまま、開けっ放しで、春日さんは合い鍵を持っている。いつも不用心だと言われるが、俺は『面倒なのが嫌いなんだろう?』と、その度に聞いている。鍵を開ける手間を省くためだと伝えるのだ。

 決していつも待っているからだとは言わない。

 そんなことを言ったら、友人に『告白されたから、フる』という手間をかけることになる。俺は、友人の一言一言をいちいち覚えていて、気にしている。

「こんばんは。何で鍵かけないかな」
「……明日、かけるから」

 明日があることを俺は確実に祈っていた。電話もPCの不具合も、何もかもが冗談であるのだと、自分に何度も言い聞かせた。なのに不安感が止まらない。

「絶対だよ? そうそう、それと仕事の話なんだけど――……その
前に、抱きしめて良いか?」
「……それは」

 抱きしめる、というのは、友人の『SEXしたい』という合図だ。
 もしかしたら、俺は後十分弱で、この世界からいなくなってしまうかもしれない。だから、だから。

 ――気づけば俺は自分から抱きついていた。

 正直性行為をしたいわけじゃなかった。ただ、十分間だけでも良いから、友人の温もりを感じて、覚えておきたかったのだ。もしものために。

「――めずらしいな。というか、初めてだな、抱きつかれたの。どうかしたんだろ? 今日は、初めてづくしだし。湊から、何時に来るかなんて聞かれたのは初めてだしね。俺、これでも頑張って仕事終わらせてきたんだからな?」

 冗談めかしたその言葉と苦笑の気配に、俺は腕に力を込めた。すると俺の背に手を回し、友人もまた俺を抱きしめてくれた。

 ――もうこの関係が終わっても良いから、俺は勇気を出して言うことにした。

 そう決意した時には既に唇が言葉を紡いでいた。
 遊ばれているのは分かっていたけれど、それでも良いから一緒にいたかった。いられなくなるとしても、それでも一緒にいたいと思うのだ。どうしても一緒にいたかったのだ。

「大好きだ、愛してる」
「……なに、急に」
「好きなんだ。ごめん」

 俺がそう言うと、友人はそのまま黙ってしまった。俺はただ額を友人の胸に預けて、静かに泣いた。体中が熱くなった気がした。胸が苦しくて、何もしていないのに息切れがした。頬が濡れていく。信じてなんていないはずなのだ、あんな悪戯電話。なのに涙が止まらない。

 離れるなんて考えられなかった。そうなるくらいなら、俺はもうどんな世界にも存在なんかしたくない。それは諦められる部類の衝動じゃなかった。

 そのまま互いに無言のまま、すぐに時は流れた。
 時計の針が十時を指したのが分かった。レトロな鳩時計が啼いたからだ。

 思わずきつく目を伏せると、急に俺は闇に飲まれ、その直後光に飲まれた。まぶたの向こうが明るくなったのだ。

 何が起きたのか分からなくて、歯を噛みしめた時――……「はは、可愛いな」……――友人が吹き出した。

 驚いて目を開けると、腕が離れた。友人が部屋の照明のリモコンを持っている。それで部屋の電気を再びつけながら、片手で友人は、俺に光り輝いている丸い球体を差し出した。

「小型の空気清浄機だよ。アロマオイルを入れると、その香りがする。暗くすると光るんだ」
「……」
「ごめんな。信じちゃったか。エイプリル・フールの悪戯のつもりだったんだよ。メールの送信時間、ぎりぎりだったけどな。ま、結構気合い入れてプログラム組んだんだけど」
「……」
「俺のこと恋人だと思ってる、って思っていて良いんだよな? 今日は本当は、仕事なんてそっちのけで、新規のテストの案件もないし、一日中湊が何打ち込むのか楽しみに見てたんだよ」
「……なんだよそれ」
「湊に他の恋人がいなくて、俺のこと好きかどうか、知りたかった
んだけど、知りすぎた気がするな」
「だから、なんだよそれ」
「俺も、湊のこと愛してるって事」
「ッ」
「俺はさ、もうずっと湊のこと友達だなんて思えなくなってたんだ」

 その言葉に俺は脱力した。
 友人の背中に再び手を回し、俺は唇を噛んだ。
 ――俺の精神安定剤の一つは、紛れもなく春日さんみたいだ。
 春日さんの体温だけで、ソレが今側にあるだけで、俺は確かに安定するから。

「――だったらなんで、いつも、『友達だよね』なんて聞いてきたんだよ」
「友達だよね、って聞いてたのはな、友達じゃない――それ以上、恋人だって言って欲しいからなんだ」

 そんなこと分かるはずが無いじゃないか。俺はボロボロと涙が頬を伝っていくのを理解して、肩が震えるのを止められなくなりながら、春日さんにさらに強く抱きついた。

「だけど、俺の恋人になるって言うのは、知らない世界――異世界だろ? これからは、ずっと俺の腕の中にいてくれよ」

 そうして俺は新しい世界を、識る事になる。それは最高に幸せな世界だった。
 こんな異世界トリップならば、決して悪くはないなと考えながら、俺は小さく笑ってみせる。もう絶対にこの腕の温もりを離さない。春日さんのことを、愛しているのだから。

「愛してる」