雪華の月の物語



 ――僕はこの第三後宮のアメジスト宮を統べている(自称)。

 僕こそが、ダイヤモンド・アーキエンジェロイ=アンゼリカだ。
 アンゼリカ帝国第二皇太子だったんだけど、諸事情により、今はコルツフット王国の後宮に輿入れしている。ちなみにアンゼリカはなんでなのか、淫乱な国と言われている。だから僕もオサカンだと噂されている。僕は一途だからそういうのはないんだけどね!

 爪はピカピカ。毎日磨いているからね。
 お肌もスベスベ。毎日パックしてるからね。
 髪もツヤツヤのサラサラ。毎日魔石入のコンディショナーをかかさないからね。

 アメジスト宮だけじゃない。後宮中を見回しても、僕より綺麗で可憐な人はいない。女性も含めてだ。この国では同性愛も比較的容認されているらしいから、僕のもとには、よく後宮から降嫁して自分のところに来ないかなんていう誘いが来る。そう言うのも自由な国風なのがコルツフットなんだ。ここへきてもう三年が経つ。

 だけど僕は、心に決めた人がいるから、ずっと断ってる。今年で僕も二十歳だ。
 そろそろ――僕には時間がないんだけど、それでも大好きなフェンネル様の顔が見られるこのアメジスト宮にいられるのが幸せなんだ。

 もうすぐお茶会だから、僕は魔石入り化粧水が染み込んだ、白い布パックを顔にぴとっとはりつけて、先程から爪の手入れをしてもらっている。魔石入りの透明なマニキュアを塗ってもらっているんだ。

「本当、ダイヤ様の指って人形みたいに細くて形も綺麗で、ちょっと惚れ惚れしちゃうな」

 刷毛を動かしながら、フールが言った。フールは、唯一僕の自国から来た供の者だ。

「っていうか、折れそうで怖い」
「ねぇねぇフール。フェンネル様は強い人が好きだって言うよね?」
「ええ、おっしゃいますね」
「僕も剣でも振って、剣だことか作ったほうがいいのかな?」
「……できるんですか?」
「あはは」

 フールが遠い目をしている。僕はから笑いするしかなかった。僕はアメジスト宮では、箸より重いものを持ったことがないとよく言われている。箸は、このコルツフット王国特有の文化だ。はじめてお刺身というものを食べた時、僕は食中毒の心配をしちゃったんだったりする。嫁いできた三年前が懐かしいな。

 それから、今日のために(ようするに毎週一回)、商人から買った最高級の生地で出来た服を着つけてもらった。白いシャツの上に、今日は深紅のマントだ。首元で黒いリボンで結ぶ。僕は赤い服を着ることが多い。フェンネル様が、赤を好きなんじゃないかなって思うからなんだ。

 フェンネル様というのは、名目的には僕が輿入れしたお相手だ。
 コルツフット王国第三王子殿下だ。
 黒とも緑ともつかない髪の色に、緑色の瞳をしている。すっと通った鼻梁をしていて、切れ長の目だ。スラっとしていて背が高い。古代魔術の研究が趣味兼お仕事みたいで、一度だけ連れて行ってもらった執務室には、魔術書の山が築かれていた。僕はあんまり難しいことはわからないから、ただすごいんだなと思ったんだよね。僕にも学があれば良かったんだけどなぁ。

 そんな僕にできることはといえば、着飾ってなるべく華やかにして、そしてフェンネル様のお目に止まることだけだ。いつお会いしてもいいように身奇麗にしていて、それでなるべくお会いできるように、フェンネル様が通りかかりそうなところを、通りかかりそうな時間に、フールとともに歩くのが日課だ。

 これでも後宮に入って最初の頃は、いろいろな人から牽制された。
 だけど僕はそんなものは気にしなかった。そうしたら今では、”僕派”が出来上がってしまった。これぞアメジスト宮の主の所以だ。

「次は唇と頬ですね」

 フールの声で我に帰った。僕は、あんまり血色が良くない。だからいつも、桜色の紅をうすく唇とほほに塗るのだ。天然物のほうがいいんだろうけれど、こればっかりは仕方がない。

「やらなくてもすごく、綺麗な色だと思うんだけどな」
「だけど不健康に見える」
「……そういうものかなぁ。俺はそのままのダイヤ様の方が、綺麗な気がするんだけど」
「綺麗なだけじゃダメなんだよ。愛くるしくないと。好かれないと!」

 僕はフールの手からパレットを奪い、小指に紅を乗せた。薄くそれを唇に乗せて、静かに舐めてみる。美味しくないんだよね。それから頬紅をすこしだけ散らす。ラメ入りだ。

 そのあとは、もう一度丹念に髪をとかした。髪だけは伸ばす気にならないんだよね。それとも伸ばしたほうがいいのかな? そんなことを考えながら、まつげもとかす。

「こんな感じでどうかな?」

 全てが終わったので立ち上がり、僕はフールの前で一回転してみせた。

「今日も完璧に麗しいです!」
「ありがとう!」

 これで気合は十分だ。僕は今日も、フェンネル様のために戦いに臨む!
 そう、そんな僕こそが、ダイヤモンド・アーキエンジェロイ=アンゼリカなのだから!

 それから僕はお茶会の場へと向かった。

「フェンネル様の好きな方って、どんな方なんですか?」
「お前と違って寡黙で強い。いい加減付きまとわないでくれないか、ダイヤ」

 ダイヤと呼ばれて、僕は嬉しくなってしまった。
 最近では、名前を縮めてて呼んでくれるんだ。それだけでも親しみを感じるよね。
 僕が絡めた腕を、面倒くさそうにフェンネル様が振り払おうとする。
 だけど僕は離さない。代わりに満面の笑みを浮かべて、さらにギュッと力を入れた。

 今は、週に一度の、アメジスト宮のお茶会だ。

 週に一度のこの日だけは、僕は大好きなフェンネル様とおもいっきり話ができる。
 フェンネル様は、あまり僕のことが好きではないみたいだけれど、いいんだ。

 僕が好きだから。

 僕はフェンネル様の後宮にいるんだけど、別に正妃や側妃というわけじゃなくて、他国から来た”人質”だ。それに最近の僕は、フェンネル様をみれば走って行って頑張って話しかけるから、どちらかといえばおしゃべりだし、病弱だから全く強くない。だからフェンネル様の好きな人のことが、ちょっとだけ気になることもある。

 だけどフェンネル様とお話出来るだけでも十分だ。

 従者のフールいわく、押して押して押して押して押し倒せ! とのことだから、僕は頑張っている。

 ――その時、雲の合間から、日光が顔を出した。
 その日差しに胸が痛くなり、僕は思わず唇を噛んだ。心臓を直接手で掴まれたみたいに苦しい。だけどそんな姿を見せたら、また弱いって思われるかもしれないから、僕は必死に俯いて、胸の痛みにたえる。

「――ダイヤ?」
「……」
「おい? どうかしたのか?」

 だけどダメだった。めまいがして気づくと僕の視界は反転していた。
 ただ衝撃は訪れなくて、気づけばフェンネル様に抱きとめられていた。

「ダイヤ!!」
「……フェンネル様……」
「気分が悪いのか!? すぐに医官を――」
「いえ、すごく幸せな気分です。フェンネル様の腕、すごく気持ちいいです」
「……馬鹿野郎。人がせっかく心配して――さっさと立て」
「はは、ごめんなさい。ちょっと草で滑って転んじゃっただけで」

 胸の痛みが収まってきたので僕が笑うと、呆れたような顔でフェンネル様がため息をついた。良かった。具合が悪くて弱い姿を見られなかったみたいだ。これ以上僕は嫌われたくない。だけど、すごく残念だけど、僕はこれ以上日光を浴びていないほうがいいと思う。

「僕、そろそろ戻りますね」
「ダイヤ……?」
「はい?」
「いや……珍しいな」
「なにがですか?」
「その……お前から帰るなんて。いつもだったら、お前、俺に帰るな帰るなって言うだろ?」
「フェンネル様……! フェンネル様も僕に帰って欲しくないんですね!!」
「違うわ! そういうことじゃなくて、ああもう、だぁ、あああ、人がせっかく心配して――返せ、俺の心配心を返せ!」
「心配……」
「頬を染めるな!」

 だって嬉しいんだから仕方がない。僕は名残惜しかったけれど、それでも頑張ってフェンネル様の腕から離れようとした。そして――……

「っ」

 再びめまいに襲われた。気づけば咳き込んでいて、咄嗟に覆った手を見たら、真っ赤に染まっていた。まずいまずいまずい、見られたらまた弱いと思われてしまう。慌てて、手を付いた芝に、もう一方の手も持って行って、血を拭う。だけど唇を拭う前に、フェンネル様に強く手首を握られた。

「おい、お前、それ――」
「あはは」
「笑い事じゃないだろう、おい、お前……ッ」

 真剣な表情をしたフェンネル様が、その時はっとしたような顔をしてから、空を見上げた。

「……――魔力過多症か?」
「……」
「お前、魔力が多いなんて話、一言も……」
「……」
「聖術の儀式は?」

 矢継ぎ早に言われたけれど、胸の痛みと朦朧とした意識で、僕は何も答えられなくて、ただ曖昧に笑うことしかできなかった。体が泥のように重い。指先からどんどん冷たくなっていく。もしかしたら――……これが最後なのかもしれない。とうとう、僕には時間が来てしまったのかもしれない。最後がフェンネル様の腕の中なのは幸せだけど、出来たら誰も見ていないところで、ひっそりと猫のように終わりたかったな。

「っ、ダイヤ!!」
「……」
「これは、応急処置だからな!!」

 フェンネル様が何かを叫んでいた。だけど僕にはもう、瞼を開ける力さえ残っていなかった。だから、直後、柔らかな感触が唇に降ってきたけれど、その意味がわからなかった。

 ――そのまま僕は、意識を手放したのだった。



 そして夢を見た。それは、僕がアメジスト宮にきてから封印した、
 フールでさえ詳細を知らない過去だ。

 僕は10歳の時から、塔の中で暮らしてきた。

 正妃だった母が亡くなり、側妃だった義母と異母兄が王宮を掌握したからだ。
 高齢の父――皇帝陛下は、後継の事なんて周囲に任せきりだったけれど、継承者争いに敗れる形となった僕は、塔に幽閉された。

 母が死んでしまってから、僕は誰に必要とされることも亡くなってしまった。

 塔から外には出られない。

 唯一抜け道を見つけたから、塔の地下に広がる”来陸迷宮”には、たまに出かける。

 このアンゼリカ帝国の皇族は、迷宮に巣喰う”魔物ネライダ”を倒すために、生まれつき武器を持って生まれてくる。戦うことは皇族の使命だし、正直戦って死ねばいいと思われているみたいだから、そこに出ることだけは黙認されている。どのみち帰った塔からは外には出られないのだし。

 この塔には、”陰”の魔術結界がはってある。

 世界には、”陰”の魔術と、”陽”の聖術が存在する。
 僕は病弱ということで、塔で静養していることになっているらしい――けれど、決してそれは間違いじゃない。僕は生まれつき、陰の魔力が強すぎるらしくて、それが体内に溜まりすぎると陰の魔力に耐え切れなくなって、陽の下に出られなくなる。

 日光を浴びると具合が悪くなってしまうのだ。
 だから無理に結界を通過しようとすると、魔力過多で僕は最悪死んでしまう。

 皇族特有の虚弱体質で、遺伝病だ。僕の亡くなった母様もそうだった。この国は皇族同士の結婚が多い。そこも側妃の義母には気に食わないところらしい。もっとも僕が皇家の血が濃いからだ。例えばアンゼリカ皇族にしか生まれない深い青――空色の瞳も、母様そっくりだと言われた僕の黒い髪も、全部全部全部義母は気に食わなかったらしい。

 僕には趣味も何もない。この塔には窓もない。世界とは、迷宮以外では完全に隔離されている。だから今日もゴツゴツした石畳の床に片膝を立てて座り、背を壁にあずけて、武器を握り締めてぼんやりとしている。

 僕の武器は、巨大な鎌だ。長い柄は黒くて、銀色の三日月みたいな刃がある。この武器は自分の意志で、”亜空間”にしまっておくことができるけれど、これ以外に僕が自由に使えるものは何もないから、いつも出している。

 食事は日に一度、決して開かない入口の下の小さな穴から、鍵を開けられてトレーを置かれる。毎日同じ。硬いパンだ。チーズが塗ってある。飲み物は、室内に小さな水道がある。

 科学は僕が小さい頃に、少しだけ発展しだした。外にいた頃は、初めて天井に灯る電気を見たけれど、この塔にはそれもない。夜はただ暗いだけだ。

 僕に会いに来る人は誰もいない。
 だから幽閉されて七年間、僕は三度しか話をしていない。
 三度ほど来陸迷宮で、他者に遭遇したことがあるのだ。あの迷宮は、どこの国の地下からでも共通の亜空間に繋がるから、時に転移場所がかぶることがある。

 僕は陰魔力の影響を緩和する外套をはおり、ローブを深々とかぶって頭部を保護し、口布をしていつも迷宮に降りるから、身元が露見することはない。無論露見したとしても、誰も僕の顔なんて知らないのだろうけれど。

 転移というのは、空間転移だ。”鍵扉”を開けて地下に降りると、無作為の場所に移動する。外界で使う場合は、魔術師が移動に使う。

 もちろんそう遠くにはいけないのだけれど。亜空間というのは、この大陸のどこにも存在しないのに、行ったり収納したりできる”陰陽空間”だと僕は習った。多分それが、塔の外で習った最後のことだと思う。

 小さい頃だったから、礼儀作法と言語ばかりを習っていた。

 僕は、もうこんな生活に慣れきってしまった。
 僕がいつ死ぬのかは僕自身にもわからないけれど、あと三年くらいは生きると思う。
 年々魔力は強さを増すから、きちんとした処置を受けなければ、僕の体がもたなくなる。

 死にたいわけじゃなかったから、僕は目を覚ますたびに、ああまだ生きていると思って安堵する。大抵二次性徴後、二十歳までに、何もしなければ大体の皇族は死んでしまう。

 処置とは、”陽”の気が強い聖術師の力を分け与えてもらうことだと聞いているけれど、詳しいことは知らない。

 ――ああ、今日もやることがない。

 来陸迷宮にでも降りようか。ここのところはそれすらも面倒で、もう半年くらいは出ていない。その半年前に、最後に人と話した。話すだけで僕は疲れてしまった。

 その上、僕が唯一話した三度の人間は、亜空間制御ができる魔術師らしくて、僕は今、迷宮に降りると、必ずその指定された空間迷宮に飛ばされてしまうのだ。なんでも僕と話がしたいのだとその人は言っていた。

 喜んだのは、最初の一度だけだ。二度目に会った時は、嫌われないためにはどうすればいいのか考えすぎて何も話せなかった。三度目も同様だ。だからあまり行きたくないのかもしれない。そして、もう転移場所が変わっていたらと思うと怖いのもある。とっくに嫌われているという現実を突きつけられるのが、僕は怖い。

 それでも、退屈すぎて死にそうだったから、僕は来陸迷宮に降りることにした。
 結果として、転移した場所は、四度目になる亜空間だった。

 そしてそこには、僕の唯一の話し相手がいた。壁に刻まれた古代文字を撫でていた。

 姿を見られて満足したので、邪魔をしないように奥の遺跡で、”魔物(ネライダ) ”を狩ろうと思う。うつむきがちに、僕は無言で歩き始めた。

「え、うああ!! あ、あ、あ、あああああ」

 すると奇声が上がった。何事かと思った瞬間、腕を掴まれた。

「来てくれたのか! もう来てくれないと思ってた。俺、なにか悪いことしたか?」
「……」

 なんだかその声が懐かしく思えて、顔を見上げれば困ったように彼は笑っていた。
 白い装束の上に、深紅の外套を羽織っている。
 黒とも緑ともつかない髪をしていて、瞳は緑だ。いつ見ても綺麗だと思う。
 僕よりもずっと背が高い。

 ――僕は彼の名前が知りたい。だけど、やっぱり僕の口からは、何も言葉が出てこない。声帯が動き方を忘れてしまったみたいになるのだ。

「俺はずっとお前に会いたかったんだ。そ、その……初めて会った時に助けてくれてから、お前のことが頭から離れなくて」

 そう、出会いは一年前だ。彼が、この部屋のさらに奥の迷宮遺跡で”魔物”に襲われていたのを見つけて、僕は気まぐれに鎌を振るったのだ。ただ別に善意からなんかじゃない。たまたま目の前に魔物がいただけなのだ。襲われている人間が居ることに、実を言えば僕は気づいていなかった。今では、彼を助けることができて本当に良かったと思っている。

「なぁ、良かったら今日こそ名前を教えてくれないか? それに、顔も見せて欲しいんだ。あ、そ、その、嫌ならいいから! 一緒にいられるだけで俺は、その……」

 もちろん僕は、名前も顔も彼に知られるわけには行かない。アンゼリカが皇族を幽閉している事実など、広めるわけにはいかないからだ。それよりも僕の方こそ、本当に彼の名前だけでも知りたいんだけどな。

 そんなことを考えていた時――リンと音がした。

 これは僕を塔に呼び戻す合図だ。来客時と二十時間以上不在時に響く音だ。いつもは不在時に響くのだけれど……七年ぶりに誰かが来たのかもしれない。兎に角この音を聞いたら、僕は塔に戻らなければならない。そうしないと、僕の首にはまっている黒い首輪が、陰魔力を加圧するから、僕は死んでしまうのだ。

「……帰らなきゃならない」

 僕はそれだけ告げて、空間転移した。
 四回目の会話だった。

 塔へと戻った僕は、フードと口布をとり、鎌を久しぶりに空間魔術で亜空間に収納して、壁に背をあずけた。すると再びリンと音がして、正面の扉からノックの音が響いてきた。

 そんな経験はこの七年間、一度もない。
 何事だろうかと思い見守っていると、石の扉が鈍い音を立てて開いた。

「ダイヤモンド」

 入ってきたのは――驚いたことに異母兄だった。ダイヤモンドというのは僕の名前だ。母が宝石好きだったのだ。前後左右には、護衛の騎士や魔術師が大勢いた。別に僕に攻撃する意思なんてないけれど、仕方がないことだと思う。

「次期国王として命じる。コルツフット王国の後宮に嫁げ。出立は今日だ」

 異母兄はそれだけ言うと、踵を返して歩いて行った。
 意味を図りかねた僕のもとへ、その時一人の魔術師が歩み寄ってきた。

「お初にお目にかかります、ダイヤモンド第二皇太子殿下。宮廷魔術師のフールと申します。これより殿下の配下として、コルツフットまでお供させていただきます」
「……」
「後宮に輿入れと申しましても、要するにコルツフットの要求は人質をよこせということで……本当に嘆かわしい限りです。まぁそういう事情ですので、性別を問われることはありません。正妃や側妃にも人質ですからなることはありませんが、その」

 フールと名乗った魔術師は、去っていく人々を一瞥してから、今度は僕の部屋の中を見回した。

「このお部屋よりは、すくなくともふかふかのベッドと、それに美味しいお食事があるはずです。お供も俺一人で、なんていうか、殿下の不遇具合が少し俺には心が痛いんですが、そのごめんなさい。同情してます、正直」
「……」
「とにかく何も心配しなくて大丈夫です。さぁ、行きましょう!」
「……」
「いきなりこんなこと言われて困っちゃうのはわかる。わかるんです。ただ、殿下が輿入れしてくれないと、コルツフットに宣戦布告される情勢なんです」

 一人で微苦笑しながらフールはよく話した。僕には、いまいち話が見えなかったけれど、静かに立ち上がることにした。どこにいたって、おそらく僕の生活はそんなに変わらない気がした。

 それから僕はフールとともに馬車に乗せられた。
 フールはその間もよく喋った。金色の髪に、金色の瞳をしていて、僕と同じくらいの身長だったけれど、少し年上だと思う。

 ――フールの話を自分なりに整理すると、こうだ。

 現在、このスフィダンテ大陸では、各地で戦争が起きている。中でも、存在感が強いコルツフットと、僕の母国アンゼリカが戦争になれば、それは大陸戦争になってしまう。それを回避するために、アンゼリカからは皇族を、コルツフットからは王族を、それぞれ交換で人質に差し出すことになったらしい。コルツフットの第三王女が、異母兄の正妃になるのだという。アンゼリカには、女性の皇族がいない。だけど結局は人質だから、男でもいいということで、僕が選ばれたらしい。アンゼリカとしても、丁度良い厄介払いになったんだと思う。

 僕としては、むしろフールに同情してしまった。僕の供の者になるということは、アンゼリカでの出世の道は絶たれたわけだし、コルツフットで魔術師として再雇用されるとは考えられない。一生僕の世話をしてくらさなければならなくなってしまったのだ。可哀想だ。

 それから三日ほどかけて、僕はコルツフットまでついた。
 途中で馬車ごと転移魔法陣にのったのに、三日もかかった。本当に遠い国なのだ。
 言語と時間概念は共通だけど、暦は違う。

 僕は雪華の月の26日に、コルツフットについた。コルツフットには12の月がある。
 ひと月は、28日から31日だそうだ。

 ついてそうそう、僕はアンゼリカ皇族の正装に着替えさせられていた。大人物を着るのは、初めての体験だった。そして、直ぐに僕は、輿入れする相手――第三王子殿下にご挨拶することになった。この国には、国王の第一後宮、次期国王になる第一王子の第二後宮、第二王子以下王族男子共通の第三後宮があるのだという。その中に、それぞれ建造物があって、各王子ごとに敷地が分かれているのだという。

 初めての顔合わせは、アメジスト宮という第三王子専用の建物で行われることになった。

「コルツフット第三王子の、フェンネル・キンセンス=コルツフットだ」

 僕は跪き、床を見たままその声を聞いていた。そして、静かに瞬きをした。

 どこかでその声を聞いたことがあったからだ。だが、僕には聞き覚えのある声の持ち主なんて、現在ようやくフールができたくらいのものである。不思議に思いながら、僕は床を見たまま、久方ぶりにできた”仕事”をしなければならないこともまた思い出した。挨拶だ。

「……アンゼリカ帝国第二皇太子、ダイヤモンド・アーキエンジェロイ=アンゼリカです」
「顔を上げてくれ、ダイヤモンド殿下。人質とは言うけれどな、決してひどい扱いはしない。約束する」

 その声に、おずおずと僕は顔を上げた。そして息をのんだ。緑色の切れ長の瞳が僕を見ていた。フェンネル殿下は笑ってはいない。ただまじまじと僕を見ている。どこか緑のように見える黒い髪。ああ――来陸迷宮で、そうだ、僕たちは確かに会った。

 そうか、フェンネル殿下というのかと、名前を知ることができて嬉しくなった。これから僕は、もっと彼と話をすることができるのだろうか? そう思えば心が騒いだ。嫌われたくない――出来ることならば、好かれたい。

「ただ、ひとつだけ先に謝っておかないとならないことがあるんだ――俺には、心に決めた好きな相手がいる。だから、ダイヤモンド殿下を愛することはできない」

 その宣告は、だけど僕にとっては別にどうでも良かった。僕は愛されることなんて、とっくに諦めていたからだ。ただ、ただただ、少しでいいから話がしたいと思った。もっと声を聞いていたいと思った。

 だけど僕は、結局それ以上、何も言うことができなかった。
 言葉が出てこなかったんだ。

 フェンネル殿下も特に何も言わなかったから、その場はそれで終わった。

 あてがわれた自室にフールと戻る。
 僕が今日から住むことになったアメジスト宮には、他に73人の後宮妃がいるのだという。皆、正妃候補・側妃候補・人質だ。

 そんな情報をフールから聞きつつ、僕は、アメジスト宮にも、来陸迷宮に通じる”鍵扉”が存在することを気配で確かめて嬉しくなっていた。だけどもう、あそこに行かなくても、僕はフェンネル殿下とも会うことができるのだろうし、フールとも会話ができる。

 幸せだ。すごく幸せだ。
 ――その日眠ったベッドは、本当にふかふかで、僕は嬉しくなってしまったのだった。



 これが、はじまりだった。


 目を覚ました時僕は、自室のベッドで眠っていた。
 ズキズキと鈍く頭が痛む。そして回想して唇を噛んだ。とうとう僕の体には限界が来たのだと悟ったからだ。早急に、”陽”の気を分け与えてもらう聖術の儀式をしなければ、僕は死んでしまうのだ。

 だけどそれがどういう儀式なのか、僕は知らない。
 ただ夢を見て思ったけれど、塔で一人ひっそりと死ぬと思っていたから、こうして、後宮で三年間だけでも楽しく生活できて良かった気がした。

 僕は、会えば会うほどにフェンネル様のことが好きになっていったし、例えば後宮で他のみんなと喧嘩をしたりもしたけど、それさえも充実した日々だったと思う。

 無口で話なんてできなかった僕は、なんとか溶け込もうとして、好かれようとして、一生懸命どうやって会話をするのかをフールに習った。ひきこもっていて何もわからなかったから、僕はいろいろな服を必死で買ってみた。どうしたら好きになってもらえるのかと思って、頑張って外見を磨いた。そんな日々が楽しかった。

 ただ僕は、塔にいた頃から、自分の終わり方を決めていた。
 僕は来陸迷宮で死ぬ。
 人気のない自室で、静かに立ち上がり、僕はクローゼットを開けた。
 そして唯一持参してきた、昔はずっと来ていたローブを取り出した。
 口布を当て、手袋をはめる。
 僕は最後くらいは皇族として、魔物をたくさん屠ってそのうちに死のうと思うんだ。
 それにそのほうが、ちょっとは強いし、フェンネル様にも誇れる気がする。

 そう考えて、僕は、誰にも見つからないうちに、来陸迷宮へと三年ぶりに足を踏み入れた。

「――!!」

 するとそこには、相変わらず古代文字に触れているフェンネル様がいた。
 そして僕の姿を見た途端に息をのんだ。
 まさかまだ転移魔術が指定されているとは思わなくて、僕は焦って一歩後ずさる。

「あ、その……久しぶりだな。もう、来てくれないかと……」
「……」

 いつもだったら僕は、走って行ってフェンネル様に声をかける。
 だけど僕が僕だということをフェンネル様は知らないし、なぜなのか声帯が氷ついたようになってしまって何も言えなかった。

「実は……ずっと話したいことがあったんだ」
「……」
「俺は、お前のことが好きだったみたいなんだ」
「……?」
「ずっと声が聞きたくて、顔が見たくて、名前を知りたくて、ずっとずっとずっとお前のことをこの部屋で俺は待っていたんだ」

 その言葉に僕は、深々とかぶったフードの奥でポカンとしてしまった。
 フェンネル様の好きな人とは、僕のことだったのか――?
 身繕いをしていないから可愛くもなんともないのだが、顔なんて見たこともなくて、こんなくすんだ外套姿の僕のことが好きだったのだろうか? だとすれば、僕がこの三年間頑張ってきたことは、外見磨きは、すごく無意味だ。こんなことなら、もっと自然体でいたほうが良かった気がした。

「でもな、あんなに会いたかったはずなのに、なのにいま会って、俺は――勝手に何を言っているんだという話だけどな、もっと身近に大切な相手がいたことに気がついたんだ」
「……」
「悪いな、久しぶりに会ったのに、いきなり愚痴り始めて。お前の空気、本当に落ち着くんだ――それでな、全然一緒にいて落ち着かない奴が、俺のそばにいるんだ」
「……」
「俺を見るとどこにいても走ってきてな、俺が聞いてもいないのにペラペラペラペラ喋りかけてきて、それがまた下らなくてな」
「……」
「正直うざいと思ってたんだよ、俺。最低だけどな」
「……」

 自嘲気味に笑ったフェンネル様の前で、僕はただ立っている。
 どうせ会うのはこれが最後だ。
 だから、だったら、愚痴くらい聞いてあげようかと思った。

「初めて会った時から、顔と声は好きだった。声は、そうだな、お前に似てる気がする」
「ッ」

 気づかれたらどうしようかと、急に僕は不安になった。フェンネル様の中でこの姿の僕が、寡黙で強いという印象で、そこが好きなら、壊したくなかった。今は、もっと身近に好きな人がいるらしいけれど、それでも一時期でも好きでいてもらえたのなら、もうそれだけで幸せだ。

「そのままで十分綺麗なのにな、バカみたいに着飾るんだよ。俺はあんまり華美なのは好きじゃないんだ――ただ最近気付いたんだけどな、俺のそばにいない時は、あいつは落ち着いた格好をしているんだよな。おそらく全部俺のためにと思ってやってるんだ。本当バカなやつなんだよ」
「……」

 フェンネル様の前でだけ着飾る人なんて多すぎるから、いったい誰なのか僕には特定できない。僕はかなりフェンネル様に走り寄っていっている自信があるけれど、そういうライバルは大概蹴散らせてきた気がするんだけどなぁ。そう、僕は気合を入れて蹴散らせてきたのだ。その結果、”僕派”が出来上がったのである。

「俺のことを好きだと言うんだ」
「……」
「俺は何一つしてやったことがないのにな。最初はすり寄ってきているんだとばかり思ってたんだ。だけど、あいつを見てると、違う気がする」
「……」
「それから見ているうちに、本当は無理をしているんだって気づいたんだ」
「……」
「何がそうさせているのか俺にはわからない。ただ――魔力過多症で倒れたんだ。その時、俺はコルツフットの王族だから、聖術が使えるから、陽の気を分け与えるために唇を重ねたんだ」

 僕は意識を失う直前に感じた、柔らかな感触のことを思い出した。
 同時に――まさか、と、思った。
 フェンネル様が話しているのは、すごくすごく幸せなただの想像かもしれないけれど、僕のことではないのだろうか? だって僕以外、倒れる人がいるとは思えない。異母兄は帝国にいるわけだし。

「それからお前の国に連絡を取ったんだ、ダイヤ」
「!」

 幸せな想像をしていた直後、名を呼ばれて僕は硬直した。
 するといつの間にか正面にいたフェンネル様に、ローブのフードを取られた。

「やっぱり……ダイヤだったんだな」
「……」
「初めて声を聞いた時に、まさかとは思っていたんだ。ただその後の態度があんまりにも印象が違いすぎて考えないようにしていた。けどな、お前がひとりきりでいるときの気配が、魔力の空気感も、近すぎて、どうしても重ねてみてしまっていたんだ」
「……」
「帝国に聞いた。”陽”の聖術の儀式を受けていないそうだな」
「……」
「どうして言わなかった?」
「……」
「今は夜で、ここは迷宮だからともかくとして、すぐに朝が来る。そもそもだ。その体で、どこに行くつもりだったんだ?」

 僕は、なにを言えばいいのかわからなかった。だからただ呆然としていると、正面から抱きしめられた。思わず息を飲んで体を固くすると、肩に顎を置かれた。ほほに髪が当たる。くすぐったい。力強くて、暖かい。

「俺は最初から、そして新たに出会ってから今また、お前のことが好きになったみたいなんだ」
「っ」
「まだ今なら間に合う。儀式を受けろ。帝国皇族ならば、儀式をする相手がいるんだろう?」
「……」
「そして俺のそばにいてくれないか? 今まで冷たくして悪かった。これからはその……優しくする。誓う」
「……っ……フェンネル様は、ずっと優しかったです」
「ダイヤ」
「だから、もうすごく……十分幸せです。いいんです、満足です」
「どういう意味だ?」
「その……夢みたいに楽しい毎日だったんです。だから、もう、十分なんです」
「十分?」
「はい。それに、好きだって言ってもらえて、抱きしめてもらえて、それだけで僕、もう本当……」

 不覚にも僕は泣いてしまいそうになった。

「――僕には、儀式をする相手がいないんです。それに探す余裕もないし、何をしたらいいのかもわからないから。平気です。あはは、もうすぐ死んじゃうのかもしれませんけど、それまで魔物でも倒そうかと思って」
「本当にいないのか?」
「ええ。それに、せっかく好きだって言ってもらったからには、気合入れて魔物倒しちゃいます!」
「無理をして笑うな」
「……はは」

 そう言われても、僕は、無表情でいるほかは、もう笑顔が顔に染み付いてしまっているから難しい。口からはから笑いしか出てこない。なんだか自分で自分が情けない。

「儀式は――”陽”の気を体内に取り入れるだけだ。具体的に言うなら、血を飲んだり――本来であれば、体を重ねる」
「え?」
「相手がいないといったな」
「はい……え?」
「アンゼリカ皇族が性的に奔放だと言われる所以は、その儀式が理由だ」
「え」
「まさかとは思うが、お前、経験がないのか……?」

 あるわけがなかった。なにせ僕はずっと塔の中にいたし、その後は後宮にいた。実を言えば、一人でだってしたことがない。いきなりの話題に、思わず赤面しそうになって顔を背けた。僕は、フェンネル様のことが好きだ。だけど、そういう意味で、例えば体を交わしたいだとか、そういうふうに考えたことは一度もないのだ。

「ないんだな」
「……僕には無理です。そんなの考えただけで、その……」

 恥ずかしくなってきて、泣けてきてしまった。目が潤んできたのが分かる。何も死ぬ間際にこんなことを聞かなくてもいいと思うのだ。

「僕、女の人の抱き方もわからないし、僕に抱かれてくれる人がいるとも思えないし」
「……お前、俺のことが好きなんじゃなかったのか?」
「けど、体は男同士では重ねられないですよね?」
「……コルツフットは、同性婚が認められている」
「存じていますけど、子供は生まれないし」
「……お前、男女の場合、どうやって子供が生まれるか知っているか?」
「同じ寝台で抱き合って眠るんですよね? だけど、どんなふうに抱っこすればいいのか……あれ、だけどどうして抱き合って眠るのに男女だと子供が出来て男同士だとできないんですか?」
「本気で言ってるのか?」
「えっ、みんなそんなに知っているものなんですか?」
「……はぁ。俺は、コルツフットの王族だから、”陽”の聖術の儀式を行える。もしお前が、俺でいいというのならば、俺が――教えてもいい」
「え?」
「ただな……ひとつ確認させてくれ。今までのお前の俺に対する『好きだ』という言葉は、どういう意味だったんだ? やはりすり寄ってきていたのか?」
「? 優しいから、すごく好きで、それで、見ていると胸が暖かくなって……恥ずかしいんですけど、キュンとして……笑っているお顔を見ると嬉しくなって、あとは、ええと」
「――フールのことは好きか?」
「はい。好きです」
「見ていると胸が暖かくなってキュンとして笑顔を見ると嬉しいか?」
「はい!」
「……全く。俺は失恋した気分だ」
「え?」
「いいや、違うな。まだこれからがあるからな――いいか、ダイヤ。これからは俺を見ると、ドキドキするようにしてやるから」
「?」
「お前はまだ本当に恋がなんなのかわかっていない」
「え、え、いえ?」
「俺のことだけを好きにさせてやるから――いいや、これは願望だな。俺のことだけを好きになって欲しいんだ」

 そう言うとフェンネル様が僕の顎に手を添えて持ち上げた。
 ごく近い場所にフェンネル様の顔があって、思わず息を詰める。
 正面から緑色の瞳に覗き込まれたら、うろたえてしまって、思わずゆっくりと二度瞬きをしてから、唾液を嚥下した。

「キスを……してもいいか?」
「え、あ……――ぅンっ」

 質問されたはずだったのに、答える前に、僕は唇を塞がれた。はじめは触れ合うだけのキスで、息をしようと小さく口を開けた瞬間、舌が入り込んでくる。びっくりして、舌を引いたらさらに深く貪られて、舌の裏を舐められた。ビクリと体が震えたから、はなそうとしたら、もう一方の手で強く抱き寄せられた。それから僕には気が遠くなるほどの時間、角度を変え、何度もキスをされた。

 唇が離れたあと、肩で息をしていると、再び強く抱きしめられた。

「今のキスは、俺個人の意思としては儀式じゃない。でもな、これだけでも、だいぶ体の調子が違うはずだ」

 言われてみればそのとおりで、僕は目を瞠った。

「今はまだダイヤは儀式だと思っていてくれてもいい。俺の方は、単純にお前を抱きたい。だから、抱かせてくれ。利害は一致しているだろ?」
「え? あ、そ、その……僕、どうすれば……?」
「全部俺に任せてくれればそれでいいから。本当は今すぐにでもここで押し倒したいけどな、ここは冷える。アメジスト宮に戻ろう」

 そう言うとフェンネル様は僕の両手を取った。


 それから数日が立った。
 あの日は、まだ僕は目を覚ましたばかりだったから、ゆっくりと休んで体調を見るように言われた。フールにはどこに行っていたのかとキレられた。

 そして今夜、僕の部屋にフェンネル様がやってくることになった。
 フェンネル様が僕の部屋に来るのは初めてだ。冬の寒さよりも緊張で、身がすくむ。

 時間はすぐにたち、約束した時間の少し前に部屋の扉をノックされた。
 今夜はフールも下がっているから誰もいない。
 僕は思わず両腕で体を抱いて、寝台に座り直した。緊張して立てない。

「入るぞ」

 そう声をかけられた。かけられるのと同時に、既に扉は開いていた。
 呆然としていると、鍵をかけてから、フェンネル様が歩み寄ってきた。そして両手で僕の頬に触れる。

「待っていてくれたか?」
「は、はい!」
「……嘘はつかなくていいんだ」

 どうしてわかったのだろう。僕が逃げ出したい気分でいると。
 ちなみに僕は、フールに、どうやって男同士でカラダを重ねるのか聞いた。そうしたら、殿下に聞けと言われてしまった。

「んっ」

 そのまま後頭部に手を回され、僕は押し倒された。
 ぽかんとしてフェンネル様を見上げると、苦笑された。
 そして――……


「ひ、ぅあア……ゃ、あ」

 先程から、香油まみれの指でずっと後孔を暴かれている。
 痛みはないけれど、押し広げられる感覚に、体が震えた。浅く抜き差しされたかとおもえば、いきなり奥まで指を突き入れられたりして、その度にピクンと体が跳ねる。

「あ、ああっ」

 喉が震えた。もちろん寒さからなんかじゃない。
 僕は服を脱がされ、太ももを片手でもたれ、もうずっと中を弄ばれている。
 時折肌をなでる手の感触に、ゾクリとしてしまう。なんだろうこれ。
 僕はこんなのは知らない。

「フェンネル様……や、やだ、あ……ッ!!」

 その時指先が、折り曲げられた。瞬間息が凍りついた。全身に僕が見知らぬ感覚が這い上がる。目を見開き怖くなって、シーツをギュッと掴んだ。

「ここか?」
「あ、あ、あ」
「ここがいいんだな?」
「や、は、ああああっ、うあ、あ、そこ、そこいやっ」

 僕は必死で今度は目を閉じてかぶりをふった。涙がこぼれてくる。
 だけど嫌だと言ったのに、指の動きは意地が悪くなり、僕の体がおかしくなってしまうそこばかりを突き上げてくる。

「う、ぁア、ああっ、ン……あ、ャ、やァ」
「指だけじゃ嫌か?」
「え? あ、っ、ふフぅン――!!」
「冗談だ。きついな、もういっぽん増やすぞ」
「んア――――!!」

 その時2本目の指が入ってきた。
 背がしなる。反り返った僕の姿に、フェンネル様が苦笑したのがわかった。
 ぬめる感触にさらに押し広げられて、僕の太ももが震えた。思わずつま先に力を込める。

「怖かったら、俺にしがみついていていいから」
「あ、あ……ああっ」

 その言葉に思わず僕は、シーツから手を離して、フェンネル様の首に腕を回した。
 フェンネル様の陰茎が入ってきたのは、直後のことだった。
 深々と貫かれ、僕は喉を仰け反らせた。息ができない。ガクガクと体が震えた。
 ただ――……。

「うあああ、や、あ、おかしくなっちゃう、いや、いやだ、や、ン――!!」

 全身に熱が染み渡り、息が上がる。多分、気持ちが良かった。
 それだけじゃない。強い陽の力に体を絡め取られていく。クラクラしてきて、僕は泣いた。気づけば触られてもいないのに、僕の前は反り返っていて、たらたらと蜜をこぼしている。

 しばらくは腰をすすめただけで動かなかったフェンネル様は、僕が
 体を震わせると吐息に笑みを乗せた。

「ああっ、やぁああ、フェンネル様ァ」
「気持ちがいいか?」
「う、うん、ぁああああ」
「きれいだ、ダイヤ」

 フェンネル様はぴとりと僕の頬をなでたあと、勢いよく抽挿をはじめた。
 思わず声を上げて、僕は快楽に泣いた。
 片手で胸の突起を転がされ、特に首筋に噛み付くようなキスをされ、そして耳の後ろをなぞられるたびに、僕の体ははねた。もう僕は泣くしかできなくて、その度に体に力がこもる。すると、力を抜けと言ってフェンネル様は苦笑するのだ。無理な注文だった。

「うあああああ」

 そして先ほど指で見つけ出された場所を勢いよく擦り上げられた瞬間、僕は果てた。
 べとべとと白液が、フェンネル様と僕のお腹を汚した。
 だけどフェンネル様にはまだ全然そんな気配はなくて、僕はもう限界だと思うのに、さらに強く動き始める。

「ひ、あ、ああああ、や、やだ、も、もうできなっ――!!」
「ダメだ、悪い、止まらない」
「やァ――!!」

 そのまま続けざまに二度ほどいかされたあと、ようやく動きが止まった。
 僕はそのまま、ぐったりと体を寝台にあずけて、涙で滲む瞳でフェンネル様を見上げた。
 すると微笑したフェンネル様に頭を撫でられた。

「大切にするから」



 ――これが、新しい始まりだった。

 以来、毎日――少なくとも三日に一回は、夜、フェンネル様は僕の部屋に訪れるようになった。もう儀式は終わったのに、だ。フェンネル様は僕のことが好きだと言ってくれる。

 最近では二人で、来陸迷宮に降りるようにもなった。
 今日も二人で降りて、そして僕の部屋に帰ってきた。

 こういう日は、ただ静かに眠るだけだから、僕が外套を脱ごうとした時だった。
 手首を強くひかれた。

「なぁダイヤ」
「え? あの」
「俺はお前のこちらの姿に一目惚れしたんだ。顔は見えなかったけどな。一度でいいからその格好で抱かせてくれ」
「な」

 そんなことを言われて、その日は服を着たまま、何度も首筋に口づけられ、陰茎を咥えられた。僕は壁に押し付けられるようにしてたっていたのだけれど、丹念な舌使いについに力が抜け始め、体が震えた。もう立っていられないと思ったら、体を反転させられて、壁に手を付かされた。

「あああああああ」

 そして後ろから強引に肉茎を突き入れられて、僕は背を反らせた。
 そんな体勢でするのは初めてで、僕は後ろを突き出し、激しい抽挿に悶えた。いつもよりも深々とつかれたかと思えば、今度はギリギリまで引き抜かれ焦らされる。そしてまた入ってきたかと思うと、今度は小刻みに揺さぶられた。

 舌を出して大きく吐息するけれど、酸素の吸入が追いつかない。
 そのうちにフェンネル様の動きが止まった。だけど僕は全然気がつかなくて、我に返れば自分で腰を振っていた。

「やだやだやだ、ああああ、うあ、あ、ああ、もうだめ、出ちゃう――っ」
「出していいから」
「フェンネル様ぁ」
「ん?」
「大好きです」

 僕がそう言った瞬間、いきなり硬度をましたフェンネル様のそれに激しく突き上げられて、僕は理性を飛ばした。


 そんな日々を送っているうちに、僕は気づいた。

 フェンネル様はちょっと意地悪だ。今日なんかは、もう三時間も僕の胸だけをいじっている。次第に妙な気分になってきたら、耳の中へとしたを差し込まれてゾクリとしてしまった。出したくて、イきてくて、泣きそうになりながら震えた途端、手を離された。

「え……やっ……」

 くすぶる熱ともどかしさで気が狂いそうになってしまう。

「たまにはダイヤからしてみてくれないか?」
「なにを……?」
「おいで」
「っ、はい」
「のってごらん。な? 大丈夫だから」

 僕はその日、自分からフェンネル様の上に乗った。
 フェンネル様はいう。何も知らない僕に、いろいろ教えるのが楽しいと。

 確かに僕は何にも知らないけれど、なんだか最近僕の体はおかしい。
 それはわかる。フェンネル様に触られるだけで、体が熱くなってくるのだ。

 そして――僕は、フェンネル様の言うとおりになった。
 フェンネル様を見ると、ドキドキするようになってしまったのだ。
 ドキドキするのはフェンネル様を見たときだけだ。

 これで良かったのか悪かったのか、多分良かったんだと思う。


 その後僕が、フェンネル様の正妃になるのは、また別のお話だ。
 ただ僕は、幸せだ。そんな雪華の月の物語。
 アメジスト宮は、もうすぐ新年を迎えるから皆がそわそわしている。
 僕は、早くフェンネル様に逢いたくてそわそわしている。

 本当にただ、幸せだった。