蜘蛛に惚れた蝶――七穂積のこの世界――





「ンんっ……ぁ……は」

 キスだけで体が熱くなっていく。
 最初はこうじゃなかったのに。
 舌を甘く噛まれて、僕は震えた。ツキンと体の奥が熱くなる。
 もう体を起こしていられなくなり、彼の肩を持ったまま、倒れこんだ。
 横になったまま、そんな僕を受け止めた彼は、いつもの通り、何も言わない。
 彼は――蜘蛛だ。

 相楽家の御当主が代替わりしたと聞いて、僕は久方ぶりに七穂積家から出た。
 新当主への祝ぎの品を渡しに行く役目を申し付けられたからである。

 黄色と橙色の布地に、鮮やかな黒揚羽が描かれている着物を来ている僕は、既にこの装束に慣れていた。元々の僕は平凡な大学生だったが、七穂積の家督争いに巻き込まれてからは、和服を着てただ座っていることが多い。僕は、蝶なのだという。

 いつまで経っても新当主は訪れず、僕以外の来訪客の期限は悪くなっていったし、僕はあきた。だから気まぐれに外へと出て――そして離れにある蔵に気づいた。木製の扉が少し開いていた。好奇心から僕は中を除いて――結果、蜘蛛を見つけたのである。

 鮮やかな着物は臙脂色で、黒く光る糸で巨大な何かが縫い込まれていた。最初は何らかの花だと思ったのだが、それはよく見れば、蜘蛛だったのである。圧倒的な美がそこにはあった。乱雑に置かれた布団の山に、軽くせをあずけて、彼は寝そべっていた。端正な顔、夜のような色合いをしている切れ長の瞳、そこに光る獰猛な気配。僕は目が釘付けになり、気づくと唾液を嚥下していた。心臓がうるさくなっていく。僕は目を離せなくなっていた。

 ――思えばこの時だ。僕が彼に惚れたのは。尋常ではなく惹かれた。

「お前は?」

 声をかけられて、異様に緊張したことを覚えている。

「七穂積と言います」
「ああ――七穂積の蝶が来るとは聞いていた。ならばこの着物の意味は分かるな? さっさと去れ」
「意味?」
「俺は蜘蛛だ。鳥獣ですら俺の糸には勝てない。舞うしか能のない蝶など、視界にいた瞬間に、どうとでもできる」

 事実を淡々と口にしているという顔をしていた。寝そべったまま、胸の上で手を組み、彼は興味がなさそうに僕を見ている。僕はといえば、その言葉を聞いて――彼が新当主なのだろうとようやく気づいた所だった。

 蜘蛛や蝶というのは、僕は着物の柄だと思っているが、古い家柄の人々や、そこで育った人々には、特別な意味合いがあるらしい。本来、人ではなく、僕は蝶であるし、彼は蜘蛛らしい。それを人間に分かりやすくするために、和服を着せているのだと、七穂積の家において僕は教えられた。だが、一般家庭で育ち、大学生をしていた僕には、そういった古い迷信じみた価値観は上手く理解できない。

 ただ一つだけ理解できることがあって、僕は再び唾を飲んだ。
 僕は、彼の瞳にどうしようもなく惹きつけられているという事だ。
 ここまで綺麗な同性を見たのは初めてだった。

「あの」
「なんだ?」
「名前を教えてもらえませんか?」
「蜘蛛だと名乗っただろう。人の名前か? それならば、相楽だ。父は没し、母も亡く、今では相楽家は俺一人だ」
「僕は、七穂積偲と言います」
「それが?」
「――僕、貴方が好きになっちゃったみたいで、だから、その、知って欲しくて」

 我ながら、なぜこのような本心が、口をついて出てきたのかはよく分からなかった。別段僕は同性愛者というわけでもない。なのに、彼に触れたいと思っていた。

「そうか。ならば――俺と寝たいのか?」

 率直なその言葉に、普段の僕ならば、頷いたりはしなかった。だがこの時の僕は、己の欲求以外何も考えられず、確かに顎を小さく動かしていた。

「俺はキスで感じられない相手とは寝ない。来い」

 寝そべったままそう言って、ようやく彼が、表情を少し変化させた。意地悪い顔で笑っていた。黒く光る瞳の色が、布地の黒糸と同じに見えた。

 僕は彼へと歩み寄り、肩に手をかけた。すると腕を惹かれて抱き合う形となった。my訳した着物越しの体の感触と体温に、さらに僕の体は彼を求め始めた。気づいた時には、僕は無我夢中で、彼の唇を貪っていた。

「っ、は……ぁ……」

 息継ぎもわからず、これまでにはキスなどしたことがないから、これの何が気持ち良いのか僕にはわからなかった。だが、彼には気持ちよくなってもらわなければならない。必死でしたを動かしキスをする僕を、スッと目を細めてかれは見ていた。

 そのまま日が暮れるまでキスをした。僕は疲れきったが、彼は気怠げに僕を見ているだけだった。――以来僕は、この蔵に通うようになった。相楽家への滞在期間は、一ヶ月と決まっていたのだ。

 朝一番に蔵へと向かい、僕は寝そべっている彼の上に乗って、彼の唇をただひたすら貪った。彼は、いつも「下手だな」というから、僕は心が苦しくなった。「全然気持ちが良くない」と、何度言われたかもわからない。けれど僕は、こうして一緒にいられるだけでも良いかもしれないと思い始めていた。

 ――そんなある日だ。
 ゾクリと体が熱くなったのだ。その日は、夢中でキスしていた時、何とはなしに目を開けて、彼の獰猛な瞳を間近で見てしまったのである。本能的に僕は、逃げなければと悟った。自分からここへと来ているはずなのに、どうしてそのように思ったのかは分からない。体を起こそうとした。だが――力が入らなかった。そういえば、ここのところは、キスをすると少しだけ体が温かくなり、腰に力が入らない日が増えていると思い出した。さらに、身をひこうとした僕の後頭部に彼は手を回し、優しく髪を掬うようにしながらも、強引に抱き寄せてきた。

「っ、ぁ……ッ……う、うあっ」

 そして舌を引きずり出されて、甘く噛まれた。強く吸われた時、それまでとは異なる熱が僕の体を支配した。口腔を嬲られ、貪られた。歯列をなぞる彼の艶かしい舌に、いちいち僕の体は反応した。唇が離れた時、僕は自分が情けなくヨダレをこぼしているのを自覚しながら、肩で大きく吐息した。何度も何度も息を吐いたのだが、熱は出て行かない。

「ひっ」

 その時腰を掴まれた。撫でるようにされただけなのに、背が反り返った。今度は片腕で僕の腰を抱きしめた彼は、唇の端を少しだけ持ち上げて僕を見ていた。

「やっと少しはキスで感じられるようになったのか」
「……? 今の、気持ち良かったですか? 感じた? それなら、良かった……」
「――俺は、俺の側の話をしていたつもりはないんだがな」

 彼の言葉の意味を、よく理解できないでいた時、不意に太ももに指を這わせられた。着物の中へと忍び込んできた彼の指が、僕の体をなぞり、双丘の輪郭を撫でる。驚いて硬直していると、どんどん着物をはだけられ、そこへと侵入してきた彼の両手にされるがままになっていた。僕の菊門を右と左それぞれの指先で、彼はほぐすように刺激してくる。思わず目を見開き、僕は震えた。目が潤んでくる。

「ぁ、ぁ……あ、あの!」
「なんだ?」
「やめて……」
「どうして?」

 クッと喉で笑ってから、彼が言った。そう言われると困るのだ。怖いからだとしか言えない。怖い以外の感情の名前がわからない。混乱している胸中で、必死に僕は理由を探そうとした。

「ああっ」
「早く答えないと、入ってしまうぞ?」
「あ、あ、あ」

 バラバラに動いていた指が、僕の双丘を押し開くものへと変わり、その中で、右手の薬指だけが、僕の中へと差し込まれようとしていた。ゆっくりと入口を刺激しては、進もうとしている。入るわけがないと思った。だが、少しヌメっているようだった。なんだろう。僕の顔は彼の顔を見ているから、後ろの状態は、触感でしか分からない。

「ッ――ン……っ、あ」

 僕の口から、鼻を抜けるような声が漏れた。あっさりと入ってきた指は、第一関節、第二関節と進んでいった。そして指の付け根まで入ると、一度動きを止めてから、彼はそれを小刻みに動かし始めた。最初は上下だと思った、だがすぐに左右だと思った。

「あっ……ああっ」

 気づくとかき混ぜるようにされていた。僕が生理的な涙をこぼした時、指が増えた。その際に、彼の陰茎が僕の太ももに触れ、僕はやっと気がついた。彼は指に、彼自身の先走りの液を掬って、それを潤滑油がわりに、僕の中へと指を進めたのだ。彼が感じていると思うと、全身が歓喜した。だが、僕の体は未知の快楽に支配されかけていて、まともに言葉が出てこない。彼は、ひとしきり僕の中を指で暴くと、夕暮れになってから手を止めた。

「帰る刻限だな」
「……はい」

 あっさりと指を引き抜き、彼は笑っていた。その時に、きちんと確認してみたが、もう彼は勃起などしてはいなかった。

 以来、僕がキスをする間、彼は僕の中を弄るようになった。
 僕の体には、どんどん力が入らなくなっていく。そう気づいたのが――今日だ。

「ンんっ……ぁ……は」

 ――キスだけで体が熱くなっていく。
 ――最初はこうじゃなかったのに。

 そんな思いで、僕は、この日やっと――彼が蜘蛛だと気づいたのだ。

「ああっ、う、ああああ」

 口を貪られ、今では僕の側からではなく、あちら側が積極的にキスをしているのだと悟った。翻弄されるがままになり、僕は涙をいつも浮かべている。体がどんどん熱を孕んでいくのだが、一度もまだ実際に前を放ったことはなく、ずっと焦らすように内部を刺激されているのだ。もう体に力が入らない。ぐったりと彼に身をあずけて、僕は震えていることしかできない。いつの間にか探り出された、内部の感じる箇所を重点的に刺激されて、僕はむせび泣いた。時折首筋を舐められて、嫌だと頭を振った。胸の突起をはじかれ、吸いつかれ、着物が床へと落ちる頃には、僕にはもうなすすべなどなくなっていたのだ。

 時折そそり立つ陰茎を、僕の太ももの間に差し込み、彼は腰を動かす。太ももに彼の放った液を感じることもある。ヌチャリと音を立てて、僕の菊門に先端だけをあてがい、彼は意地悪く笑うこともある。この日、ついに僕は限界を悟った。

「やだぁあっ、やだっ、やだ、やめて! もう挿れて!」
「……」
「うああっ、体、熱っ、ふ、ふあ、あ、ああ……」

 すると彼が指を止めた。そして楽しそうに僕を見て、ニヤリと笑った。
 彼は泣き叫んだ僕の腰に両腕を回し、強く強くだきしめる。
 身動きができない。伝わって来る体温が、僕の体をいたぶる。

「俺を好きだと言ったな?」
「う、うん……ぁ……」
「俺が欲しいか?」
「欲しいよ、っ、は、ッ、ン――……!!」

 その時急に彼が、僕の陰茎を握った。優しく指で覆われて、扱きあげられる。少しこすられただけで、僕は果てそうになった。先走りの液が、彼の指を濡らしたのが分かる。僕は、開放を待ち望んでいた。だが――……彼は、また意地悪く笑ったのだ。

「!」

 軽い衝撃と同時に、僕は視界が反転したことに気づいた。僕は押し倒されていた。
 そこから――地獄が始まった。

「ああ……あ、あ……ああっ……っン……う、うう……」

 くるぶしを掴まれ、足の指を一本ずつ舐められた。
 力の入らない体で、僕はずっと泣いていた。もどかしすぎた。腰が震えるのに、感覚はない。何度も荒く吐息したのだが、体が静まることはない。僕の両足首を握り、足を開くように少し持ち上げ、舌先ではずっと指をなぶってくる彼は、初めて見たあの日よりも肉食獣めいた瞳をしていた。獲物を徐々に追い詰めていくような顔だ。残忍さと愉悦と――僅かな肉欲が、彼の瞳には宿っている気がした。

 そうして夜が来た。いつもならば、とっくに帰っている時間だ。僕は夕日が差し込んできた時、普段は名残惜しいと思うのに、この日は開放を願った。だが、解放されることはなく、高い位置にある小さな窓からは、既に三日月が覗いている。

「ああああ、いやああああ」

 僕は既に意味のある言葉を放つことができなくなっていた。
 助けて欲しかった。この体の熱を、どうにかしてもらわなければ狂う。
 頭を振るたびに、僕の髪が揺れた。汗ばんだ指で僕は床の上に落ちた着物を握り締める。

「もう許して……」
「許す?」

 思わず呟いた声に、彼が指から口を離して、吐息に笑みを乗せた。

「蜘蛛が獲物を逃がすわけがないだろう」
「……」
「お前はもう俺のものだ。餌であり、糧となる。それ以外の未来はない」
「っ」
「絡み取られた馬鹿な己を恨むことだな」

 嘲笑するようにそう口にした後、彼は僕の足を一度下ろすと、右の太ももだけを持ち上げた。そしてあらわになった菊門をしばしの間、舌先でなぶった。襞を舌でなぞられるたびに、その刺激だけで僕はむせび泣いた。そして、彼は、初めて僕の中に陰茎を進めた。

「ああ――!! あ、ああああああ」
「最初に望んだのはお前だ」

 勢いよく根元まで挿入された。探り出されていた感じる場所を真っ直ぐに突かれたから、僕は彼が入るのと同時に果ててしまった。一気に体が落ち着こうとしたのだが、その時には体を大きく揺さぶられ、再び熱がこみ上げてきた。彼の律動を感じるたびに、僕の前は再び高度を取り戻していく。ダメだ、気が狂う。

「いやあああああああああああああ!!!」
「随分と気持ちが良さそうだが?」
「あ、あ、あっ、ううっン――!!」

 深々と楔を穿たれ、僕は腰をひこうとした。するとグイと詰め寄られ、逃げようとした僕の手首を彼が掴んだ。その力強い感触に、背筋を反らせて、僕は目を伏せた。涙がこぼれていく。繋がっている。生々しい接触に、僕は喘いだ。彼は、これまでが嘘のように、激しく実直で、思うがままに腰を動かし、何度も何度も僕にはなった。

 体を反転させられ、僕は猫のような体制で、腰を掴まれて、さらに体を貪られた。

「ああっ、あ、あッ……ン……ぁ……――あー!!! も、もう、いやだぁ!!」
「……」
「無理、無理だ、無理だよ! ああああああ!!」

 何度も髪を揺らして懇願したのだが、そうすると意地の悪い彼の指が、僕の胸の突起をつまむ。乳首を嬲られながら、僕もまた放った。床も体も白液でドロドロになっていく。もう出せない。頭がおかしくなる。気持ちいい。そう思った時、不意に頬に手を当てられて、彼の方を見させられた。

「んっ」

 そして口づけられた。濃厚なキスに、ああ、やはりはじめとは全然違うと、僕は思った。だが、蒙昧としている今の意識では、彼が現在どのような瞳をしているのか、確認するほどの余裕がない。彼が突き上げるたび、ぐちゃりと僕の体は音を立て、激しさを増せば、肌と肌が奏でる乾いた音が響く。その交わりは、朝まで続いた。いつ僕が意識を手放したのかは、僕自身にも分からなかった。

 目が覚めると、僕は彼の腕の中にいた。
 床も体も綺麗になっていて、僕はきちんと蝶の着物をまとっていた。
 両脇の下から腕を回されて、彼に抱きしめられていた。彼は寝そべっていて、僕はそこに体重をあずけていた。

「起きたのか」
「……」

 はい、と、言おうとしたのだが、声がかすれて何も出てこない。
 ひどく喉が渇いていた。ぼんやりとそう考えながら視線を動かすと、彼が僕の顎に触れた。そして左手で水の入った茶碗をあてがってくれた。飲み込むと、頭が更にぼんやりとしてしまった。不思議なレモン味の水だった。

「祝ぎの品を食すつもりは無かったが、お前のような餌に巡り会えるのだから、当主というのも悪くはないのかもしれないな。七穂積家が最も良い贈り物を寄越したことは、きちんと公言しよう」

 何を言われているのかは分からなかったが、僕は唯一今分かることとして、好きな人と結ばれたのだという現実に、胸が温かくなっていた。彼の腕の着物をギュッと握ってみる。すると小さく息を飲まれた。

「――まだ『生きて』いるのか?」
「……? おはようございます」
「……そうか。ならば、それはそれで良い」

 彼はそう言うと、僕に回す腕に力を込めた。

「まだ己の意思があるということは、お前を餌として食べたはずだったが、食べきることができなかったらしい。少し残した――おそらくまた、お前と話がしたかったからだ。そうでなければ一度きりの最後の夜で、餌は物を言わなくなる。お前、まだ俺が好きか?」
「はい」

 最後の一言、「好きか」の部分しか上手く理解できなかったが、僕は大きく頷いた。

「――俺もお前が好きらしい。やはり七穂積の贈り物は、気に食わなかったと告げよう」
「?」
「なにせ俺の愛してしまう相手を、餌のような扱いで送ってきたのだからな。お前は餌ではなく、俺だけの蝶らしい」

 彼はそう言うと一人で楽しそうに笑っていた。
 意味は分からなかったが、彼の幸せそうな表情を始めてみた僕は、なんとなく胸が暖かくなった。

 以降、僕は七穂積の家には帰らず、ずっと相楽家にいる。
 常に僕を抱きしめてそばに置く彼を見て、蜘蛛の執念が強いと幾人もが笑っていく。
 時折、絡められた蝶が哀れだと僕は揶揄されるが、相手が彼なのだから嬉しい限りだ。

 毎夜、とろけそうになる体で、彼の腕の中にいる時が、僕の幸福である。