【13】長い一日





「よし、大丈夫そうだ……」

 バルトの傷が癒えたのを確認し、俺はホッと吐息した。
 ――地面が揺れたのは、その時の事だった。
 ピシリという音がしたと思った瞬間、風景が変わった。

「え……?」

 気づくと俺は――落下していた。目の前ではそれまで地面だった岩と、意識を喪失しているバルトがやはり俺同様下へ下へと落ちていく。

「え、な、え?」

 慌てて俺は宙を泳ぐように、手を動かした。
 そして慌ててバルトの腕を掴んでいた。
 なんとか成功し、彼の体の向こうで動いているように見える岩の壁を見る。

 実際に動いているのは、俺達の方だ。
 必死で状況を理解しようと試みる。

「そうか、地面が崩れたのか」

 そう気づいて俺は下を見た。暗くて何も見えない。俺は咄嗟に、風の魔術を使うことにした。この魔術は、防御用のスキルだ。

 それをなんとか展開し終わった時、俺達は地面ギリギリの場所で停止した。防御用の透明なバリアの上に降りた形だ。衝撃は無い。俺はゆっくりと地に降りて、バルトの体も引っ張った。風の壁は、長くは持たない。

 俺達がその場に降りると、急にその場が明るくなった。
 そして石版が放っていたのと同じ、不思議な色の光が、周囲を照らし始めた。
 俺はバルトの体を横たえながら、周囲を見渡す。

 壁は、上の洞窟とは異なり、なめらかで、周囲は円を描いているらしい。
 そこには、十二星座のマークが刻まれていた。
 ――地下があるなんて、ゲーム時には聞いた事が無い。

「なんだろうな、ここ」

 呟きながら、俺は上を見上げた。するとまるでプラネタリウムのように、星が輝いているように見えた。上の洞窟の気配は、どこにも無い。

「……ロロを外に連れ出してきて良かったな」

 俺は、洞窟の外の森にロロを置いてから、中へと戻ったのである。
 ――助けてくれたバルトを放っておく事が躊躇われたからだ。

 ロロの無事を祈りつつ、改めてバルトの傷が癒えている事を確認する。

 NPCを相手に回復スキルを使ったのは初めてだから、結果がどうなるかは不明だが、顔色が少しずつ良くなっているように見えた。

 破けたマントの向こうに見えていた傷口も、今はもう無い。

 ただ……俺達、現代日本から来たわけではないせいか、あるいは俺のスキルでは完全治癒が難しかったのか、うっすらと傷跡が見える。出血は止まっているし、もう骨折も治っただろうが……大丈夫だろうか?

 不安に思いながら、しばらくの間、俺はバルトを眺めていた。

 すると数時間後、短くバルトが呻いてから――ハッとしたように双眸を開けた。すぐに立ち上がろうとした彼は、今度は息を呑み、少しだけ苦しそうな表情で、近くの壁にせをあずけて座った。

 それから、俺を見た。座っているから、ほぼ正面から視線が合った。

「どうして……戻ってきた? 俺は逃げるようにと言ったはずだ」
「だってだな……命の恩人を見殺しにするって、後味が最悪だろ? な、なんというか、俺の道徳には反する。それだけだ!」

 自分でも、殺そうとしていた相手を助けに戻るというのは、矛盾していると思う。しかしそれは、バルトだって同じはずだ。シナリオにおいて、彼は度々冒険者を屠ろうとして失敗していた。

「本当にそれだけか?」
「そう。そうだ! それだけ!」
「……まさか、気づいて……」

 その時バルトが、ごく小さな声でそう言ってから、窺うような瞳に変わった。

「へ?」

 意味が分からず俺は首を傾げた。するとそんな俺を、バルトがまじまじと見た。
 やはり――非常に端正な顔立ちをしている。
 顔だけではなく、広い肩幅や、体の印象がなんというか――男前と言える。

「――この地下の存在に気がついたのかと思っただけだ」

 するとスイっと視線を背け、バルトが言った。

 最初に遭遇した時とよく似た視線の動きだったが、俺には今、何故なのか何かをごまかそうとしているように思えた。しかし思い当たることは何もないし、確かにこの地下は謎だ。

「ここ、なんなんだ? 気づいたというか、今いるから存在は知った」
「……約百三十年前に、蛇遣いの魔王を封印した際に、十二人の当時の勇者――現在の各国を統べる者の祖が使用した武器を安置している場所だと聞いている」

 それを聞いて、俺は目を見開いた。

「って事は、これから魔王が復活した場合は、ここにある武器を使わないとならないのか?」
「……」
「なるほど、そうか、お前は――皇帝陛下の命令で、その武器を壊しに来たんだな!」

 納得して俺が言うと、バルトがチラリと俺を見た。
 しかし何を言うわけでもない。
 俺達の間には、沈黙が横たわった。

 俺の視界の片隅で、手紙のマークが点滅したのはその時の事だった。

 受信を告げる合図に、俺は視線でそれを開く。最近では、手を動かさなくても操作できるようになってきた。慣れなのだろうか?

「あ」

 送信者は、琥珀だった。
 この世界に来てから、琥珀の側から手紙が来たのは、初めての事だった。

 いつも俺から送ってばかりだったのだが、そういえば旅に出てからは、一度もやりとりをしていない。昔は、ゲームにおいては、琥珀の側から手紙ではなくチャットが来る事が多かった。

『今何してるの♪? 元気?』

 そこには、ゲーム時には活字で見ていた、琥珀の決まり文句があった。
 短いが、琥珀はいつもこう俺に送ってきたものだ。
 特徴的な『(//∇//)』つきだったが、こちらは音符マークだ。

 相変わらず文字は丸い。達筆だったバルトの字を思い出すと、琥珀の頭がかるそうに思える。文字には、性格が出るというか、なんというかついつい印象を作る効果があるような気がした。なお、俺の字は、お世辞にも上手いとは言えない。

『聞いてくれ。不動宮の洞窟が怖rて、地下に落ちてる。しかも目の前には、やばいNPCがいるんだ。俺……殺されるかも』

 返信しようとして、俺はようやく、自分の身の危険を思い知った。
 書いている内にやっと思いついたのだ。
 そうだ――本来、バルトは俺を殺すつもりのはずだった……。

『敵と二人だけ? それなら、外に出るまでは複数人いた方がいいだろうし、敵も危害を加えたりはしないと思うよ♪』

 すぐに返ってきた琥珀の返事に、俺は涙ぐみそうになった。
 何故なのか、いつも琥珀は、俺の心をほぐしてくれる。
 変わらず、優しい。

 文字も違うが――冷徹そうなバルトとは対極にいる存在に思える。
 俺の中で琥珀は、明るい癒しの象徴だ。

 少しだけ琥珀は、【サンダルディア】の時に最後まで一緒にギルドにいたバジルに、雰囲気が似ている気がする。元気だろうか? バジルはやはり、あちらの世界にいるのだろうか? サンダルディア風の異世界にいる可能性は、十分にある。

 琥珀に返信し、それから何度かやりとりしている内に、俺は冷静になってきた。
 彼は俺に、外へ出るべきだと、しっかりと伝えてくれた。
 それを読み返してから、俺は改めてバルトを見た。

 バルトは、俺をまじまじと見ていた。

「とりあえず、バルト! 今は停戦して協力して、ここから外に出よう」
「――ああ」
「ただ、その、あの……どうやって出たら良いと思う?」

 全く思いつかないので、率直に俺は尋ねた。
 するとバルトが、夜空に見える上の方へと視線を向けた。

「俺が習得している古代魔術の中に、移動魔法がある。この距離ならば、外まで転移できる」
「本当か!?」

 一気に希望が見えた気がした。

「ああ。だが、俺は今、立ち上がる事も困難だ」
「あ、無理はしなくていいからな? 大丈夫か?」
「――助けてくれた事、礼を言う」
「俺こそありがとう……けど、どうしてお前は俺を助けてくれたんだ?」

 俺が疑問をそのまま口に出すと、バルトがまた視線を背けた。
 誤魔化す時の癖か何かに思える。
 表情からは何も読み取れないが、なんとなくそんな気がするのだ。

 比較的俺は、直感が鋭いほうだ。大抵当たる。

「……お前がお前なりの道徳を持つように、俺にもまた自分なりの善悪がある」

 小さな声でバルトが言った。俺はそれ以上は聞かない事に決めた。
 とても言いにくそうだったからだ。無理強いするべきでは無い気がした。

 その時、一気に疲労感が襲ってきた。

「悪い、俺も限界みたいで、もう回復スキルが使えそうにない」
「結構だ。もう十分だ。少し休めば問題ない」
「そっか」

 安堵しながら、俺は地面に座り直した。
 石造りの地面も、上の洞窟とは異なりなめらかだ。

「じゃあ、それまで、この地下の話を聞かせてくれ」

 俺は話を変えようと思って明るくそう言ったのだが、口にしたあと後悔した。
 魔王復活を目論むバルトからしたら、この質問は返答に困るだろう……。
 案の定、バルトは何も言わずにスっと目を細めた。

「あ、お前も仕事だしな。やっぱ、言わなくていい。悪かった」

 慌てて俺がそう言うと、バルトが虚をつかれたような顔をした。
 それから小さく吹き出した。初めて見るきちんとした笑顔だった。

「上手い誘導だと考えて損をした。俺から情報を引き出そうとしたわけでは無いのか」
「……そう思うよな。そういうつもりじゃなかったんだ……ほ、ほら、今は停戦中だし」
「そうだな」
「それに、だ。情報だったら、俺はこの地下の事よりも、どこかに射手座の皇帝の末裔がいるのか知りたい」
「――何故?」
「いなかったら、魔王が復活した時に困るだろう?」
「射手座の意思を託されたいのか? 新たなる勇者として」
「そんなのは、絶対ない。魔術帝国なら、何か知ってるかと思っただけだ。あ、でも、知りたいだけで、言わなくていいからな」

 俺がそう言うと、バルトが再び冷静な表情に戻った。
 そしてゆっくりと瞬きをしたあと、ポツリと言った。

「勇者は、危険がつきまとう」
「だろうな、そりゃ。魔王が復活したら、敵対するわけだからな。そもそも魔術帝国は、どうして魔王の復活なんて? お前らがそれを実行しなければ、何の問題も起こらない」
「思慮深い皇帝陛下の御心は、俺には分からない」
「命令通りに動いているって意味か?」
「――そうかもしれないな」

 どことなく含みがあるというか、真意では無いような声音だった。
 曖昧に俺は頷いてから――その後数時間、雑談を続けた。

「もう平気だ」

 バルトがそう言って立ち上がった時、俺は半分くらい寝そうだった。
 しかし俺も気合で立ち上がる。
 立つと身長差がすごい。そう思っていると、バルトが俺の腰を抱き寄せた。

 驚いて目を瞠った直後……周囲の風景が変わっていた。

 息を呑みながら、俺はバルトの体の向こうに見える、入口が埋まってしまっている洞窟を見た。一瞬で、外に移動していた。既に夜だ。

「射手座の勇者は存在する」

 その時、バルトが俺の耳元で囁いた。
 それから俺を腕から開放し、静かに続けた。

「回復の礼だ」

 外に出してくれただけでも十分だったのにと、俺は言おうとしたが――瞬きをした一瞬で、バルトの姿が消えていた。おそらく今度は自分一人で、他の場所に移動したのだろう。

 そう考えていると、俺の背後で茂みが揺れた。

「メルト!」

 振り返ると、そこには焦ったようなロロが立っていた。

「意識が戻ったのか。良かった」
「一体どこに行っていたんだ? 心配させるな。バルトは? あいつはどうした?」
「――見逃してくれた」
「……そうか。とにかく、一旦宿に戻ろう」

 そのまま俺達は、坂道を降りて、街へと向かう事にした。
 こうして、異様に長く思えた一日が終わったのである。