【6】小さな成功




 ナツメヤシまで帰還した俺達は、扉を開けてすぐ多くのギルメン、そして何よりナスさんの視線を浴びた。待っていた彼らは、出迎えるというより、俺とマルネの双方の全身をじっと見ている。

「――念のため聞くが、怪我は?」

 後ろ手に扉を閉めていた俺は、強めて冷静さを失わないように問いかけるような、ナスさんの声を聞いていた。俺には、怪我は無い。そう考えてからマルネを見ると、彼が笑顔で口を開いた所だった。

「ありませんよ。レベル上げ、楽勝そうです」

 この言葉に、その場の緊張感が途切れたのがわかった。
 ナスさんが目に見えて脱力したのが分かる。

「良かった。じゃ、詳細な報告を頼む」
「楽勝だけど疲れるので、僕は先に、上の部屋でシャワーを浴びたいです」
「あ……そうだな、お疲れ! まずは、マルネもメルトも休んでこい。晩飯の時か明日にでもゆっくり聞かせてくれ」

 そう言ってからナスさんが、俺を改めて見た。
 そして微笑した。

 ナスさんは、気遣いが半端ない。明確で、単純なのだが、基本的に相手を尊重してくれる。俺は、これこそがギルマスの器だと思う。俺には無いものだ。俺だったら報告を先に求めると思う。

 ただ、ナスさんの言葉に甘えることにして、俺は二階の自室へ戻った。
 各部屋にシャワー室が備え付けられている。
 これはゲーム内でも存在した。

 シャワーにはバフ効果があって、ゲーム内通貨のゴールドを消費して浴びると、一定時間HP0.01%回復のバフがつく効果があった。回復スキルも回復アイテムも存在しなかったゾディアックにおいて、誰でも使えるという意味では唯一といえる回復用の代物だった。

 しかし今は、現代日本で浴びていた感覚に近い。
 俺の黒髪が温水で濡れていく。
 正面の鏡を見ながら総実感していて――ハッとした。

 ごく自然に受け入れていたが……顔は明らかに生まれながらの俺の顔なのだが、家にいた時、引きこもっていた俺は、自分で適当に髪を切っていたのだが、現在の俺の髪型は、アバターによって変化するゾディアックのものになっていた。

 いきなりの事態で気が回らなかったのだが……ひきこもりだった俺も、今だけ切り取れば、その辺にいる普通の人に紛れることが可能に思える。

 全身を洗いながら、176cmの身長と、ガリガリでは無いが痩せ気味の自分の体を見た。

「筋トレしないとまずいかもな……筋肉痛になる筋肉すら無さそうだな……」

 疲労がからだから溶け出していくのを感じながら、俺はため息をついた。

 シャワーから出るとすぐに泥のような眠気に襲われて、俺は髪を乾かさないままで、寝台に転がった。そして気づくと、睡魔に飲まれていた。


 ――翌日。

「って、痛!」

 差し込んでくる陽の光が眩しくて、うっすらと目を開けた後、俺は呻いた。
 こ、これは……筋肉痛……なのか?
 全身がバキバキ言っている。すごく痛い。

 なんとか起き上がり、俺は掌で自分の体に触れた。小学生以来の感覚だ。

「湿布をネットで買わないと……って、無いんだった、ネットが……あ」

 そこで俺はふと思い出した。
 最初に引退した【サンダルディア】というゲームには、痛みを緩和するスキルがあった。

「……」

 俺は初めて、個人倉庫機能を使用してみることにした。
 そこからビショップの装備である手袋と、武器といえる長い十字架を取り出した。
 十字架というよりは、槍に近い。

 握り締めながら、俺は右下に出現した【サンダルディア】のスキルアイコンを見た。こちらは配置などを自分なりにカスタマイズ可能だったのだが、同じように並んでいる。デフォルトで表示されている【ゾディアック】の攻撃スキルの上に、様々な回復スキルマークが表示された。

 レベル制限があるスキルには、鍵のマークが付いているが、痛みの緩和はLv.2から使用可能だ。

「――よし!」

 痛みの緩和をするスキルを発動した結果、俺の全身から筋肉痛が引いた。
 小さい事だが、初成功である。
 少しだけ嬉しくなった。

 それが一段落すると、猛烈な空腹に襲われた。
 階下へ下りると、そこには数人のギルメンと、ナスさんの姿しかなかった。
 まだ早朝で、皆寝ているらしい。しかし店主さんは、すぐに朝食を用意してくれた。

「おはよう、メルト。疲れは取れたか?」
「うん、まぁ……腹が減った」

 俺はそう言いながら、運ばれてきた朝食を受け取った。
 目玉焼きとトースト、サラダ、である。地味だが、味は悪くない。
 改めて、元々はNPCだった店主さんを見る。

 優しそうに目を細めて笑っているし、ヒゲもリアルで……どこからどう見ても、俺達と変わらない。ゲームでは、『ナツメヤシの店主』という名前だったが、胸元にネームプレートがあって、そこには『ドッジ』と書いてある。ドッジさん……それが名前だろうか?

「昨日、お前は寝たようだったが、マルネは一度降りて来たんだ。それでレベル上げについては、もう聞いた」
「そうだったのか」

 パンにジャムを塗りながら、俺は何度か頷いた。

「お前らが出かけている間に、俺達残った組はドッジさんに情勢を聞いた。ゲームに暦は無かったから、今がどのシナリオ段階なのか知りたくてな」
「うん。どうだったんだ?」
「……チュートリアルのシナリオ部分と、現在の歴史、状況は一致しているし、届いている『依頼クエスト』の中にも、チュートリアル最後のものと同じ仕事がある」

 ナスさんの言葉に俺は、思い出そうと試みた。

 確か、チュートリアル中は、過去の歴史説明――魔王の封印の話と、そこから飛んで、ゲーム内における十一の国の話だった。

 そしてチュートリアル最後の依頼は、オフィウクス魔術帝国の特務騎士団からの護衛だったはずだ。オフィウクス魔術帝国は、スコーピオン公国の横に位置していて――現代の頃検索をしたら、蛇遣い座の事(?)らしかった。

 魔王復活を試みている悪しき帝国であり、皇帝が実は魔王になるだとか、様々な推測をみんなでしていた記憶がある。内容は、護衛クエストなのだが、途中で襲撃されるというシナリオだった。

 当時Lv.30で、初めて手応えがあるクエストだった事を覚えている。

 ゲーム内の悪役と言える魔術帝国とオフィウクスの特務騎士団について考えながら、俺はパンを噛んだ。NPCが相手だが、ともすると戦闘になるのだろうか……? 人間同士の……。

「ただ、シナリオと同じように進むとは限らないしな。依頼主の名前と内容が同じだけなのかもしれない――が、シナリオ通りだった場合に備えて、襲撃者が来るルートを外して進めばいいと俺は思ってる。まぁ、まずはレベル上げだけどな」

 ナスさんが明るい声でそう言った。
 頷きながら俺は、これからうまくやっていけるのだろうかと、漠然と考えていた。

 ――リアルではうまくいかず、ゲームでは人間関係以外は比較的うまくいく俺だ。
 人間関係も、過疎が問題なだけだ(と、俺は思っていたい)。
 しかし……リアルに近づいたゲーム風の異世界で、俺はどうなるのだろう。

 ひきこもるわけにはいかないだろうが――なるべく戦わずに進んでいきたい。
 ある程度レベルを上げたら、環境に適応して、一般住人になりたい。
 しかし収入はどうなるのか、ギルドは、と、色々な考えが浮かんでは消えていく。

「それと、もう気づいていると思うが、トイレに行かなくていい体になったらしいな」
「――へ?」

 ナスさんの声で、思考が途切れた。

「ゲーム内のどこにもトイレは無いが、まる二日以上、俺はトイレに行きたくなってないぞ」
「あ、ああ……俺もだけど」
「そこはゲームに準拠だったらしいな。今お前が食べてるものが、同省化されているのかは不明で、見た感じ体に変化も無いんだけどなぁ。それと、最重要なことを一つ」
「なんだよ? 改まって……」

 おずおずと俺は聞き返した。

「街の南に、花街があった。ゲームのままだな」
「は?」
「ただゲームと違って……本番がヤれそうだ」

 ニヤッと笑ったナスさんを見て、俺は思わず遠い目をしてしまった。

「落ち着いたら、綺麗なお姉さんがいっぱいいる店に行こうな。それ目的なら、俺は頑張ってゴールドを貯められる」

 ひとり頷いているナスさんを見ながら、俺も適当に頷いておくことにした。