【1】加速度を増す眠気



 目を開けば、部屋は朝の薄闇に包まれていた。

 夏の朝だ。

 照明のせいというよりも、起動したままだった大型のデスクトップPCのモニターのせいで、室内が青い。

 空調の吐き出す冷たい吐息を一瞥しながら、粋龍はシーツの水面から床へと降りて、サイドテーブルから煙草の箱を引き寄せた。マルボロを銜えて、オイルライターで火をつけてから、冷蔵庫の前に立つ。中からミネラルウォーターのペットボトルを取りだして、手に取りながらソファへと向かった。

 チェストの上にある大きめのデジタル時計を眺めると、三時半を過ぎたところだった。

 ――もうすぐ四時か。

 そんな事を考えながら煙を吐き――……そして咳き込んだ。
 灰皿に灰を落としてから、煙草を置き、ペットボトルの蓋を開ける。
 思いの外喉が渇いていた。

 嚥下した粋龍は、直後胸に痛みを覚えて、慌ててボトルをテーブルに置いた。
 変なところに入ってしまったのだろうかと考えて、続いて咳き込む。
 意図して咳き込んだはずだったが、気がつけば、嫌な音を胸が立てた。

 鈍くズキリと頭も痛む。

 寝起きのせいだとばかり思っていたが、自覚すると妙な浮遊感に体が支配されていることが分かった。飲み過ぎではない。

「……」

 嫌な予感がして、小さく舌打ちした。
 煙草の火を一瞥してから、チェストまで歩み寄り、棚から体温計を取り出す。
 脇に挟んでソファまで戻り、溜息をついてから再び煙草を銜える。

 紫煙が暗い室内で溶けていくのを眺めながら、今日は黒麦と出かける約束をしていたことを思い出す。ピピピピピとその時電子音が響いたので、粋龍は体温計を取り出した。39度3分だった。その表示を、長い瞬きをしながら、粋龍は確認した。視覚的に体温を確認したせいか、一気に具合が悪くなったような気になる。

 風邪だ。

 粋龍は、スマートフォンをたぐり寄せると、黒麦宛にメールを打った。

『悪い。急な作業が入ったから、今日の約束は延期で。後で奢る』

 遅い時間ではあったが、急な作業と言っている手前、逆に信憑性が増しそうだ。
 黒麦に風邪を移すなんて事は、粋龍の中では合ってはならないことである。
 大きく溜息をつき、煙草を消して粋龍は立ち上がった。

 水のボトルを手にしたまま、チェストに体温計を戻して、今度は風邪薬を手に取る。
 箱を逆さにして、中身を手に取りだし、思わず眼を細めた。
 出てきたのは説明書だけだった。

 最悪である。

 この熱では、買いに行くのが大変怠い。
 しかたがないので、隣にあった頭痛薬を手に取る。

 パッケージに表記された説明文を見れば、解熱鎮静作用とあったので、ひとまずはコレで様子を見ようと決意した。錠剤を手に取り、口へと含む。それから水で飲み干した。

 体がどんどん重くなっていく上、咳が本格的に出始めたので、体に力を込め直して粋龍は寝台へと戻る。水を再度飲んで、ベッドサイドに置いてから、倒れるように横たわった。

 ――朝になっても熱が下がらなかったら。

 考えたくはないことだったが、一人暮らしである以上、考えなければならない。
 若葉を、黒麦を呼ぶことはまず無い。移したくない。

 距離的に言えば月極も同じ距離に住んでいるわけだが、月極に移れば、それもまた黒麦に移る可能性が高いので却下だ。それに月極は、生活能力に欠けているため、呼んでも看病は期待できない。

 薬も看病も万全で一番気安く呼べるのは、吹雪だ。
 だが吹雪は、勤務医だから平日である本日は、仕事で間違いない。

 己の風邪で休みを取れと言える相手ではない。そもそもそんな借りを作ってしまったら後が怖い。

 仕事と言えば、日廻と紫紺、赤鐘、頼といった面々は皆仕事であるはずだ。
 狐塚に関してはよく分からないが、狐塚を呼ぶという選択肢はとりあえず無い。
 青兎は仕事など無いだろうが、学校があるはずだ。

 大学の友達を呼びたいところであるが、恩赦措置で現在学生である以上、同級生は既に卒業して、社会人が大半なので、やはり本日は仕事である。平日が休みの友人も先輩も、今日休みだという相手に心当たりはない。その上、ネット上の同僚は、やはり遠方に住んでいる者ばかりだ。後輩とはあまり親交はない。

 では家族を呼ぶか。いや確か、一昨日から一週間ほど旅行に行くと言っていた。
 たまに行く近所のBarの常連仲間に連絡を取るか――こちらも仕事で確定だ。

「ま、いざとなったら救急車だな」

 呼ぶほど悪化することはないだろうしと一人から笑いしてから、そのまま意識を失うように粋龍は目を伏せた。



「あれ? 師匠は?」

 黒麦宅へと遊びに来た狐塚が、首を傾げた。

 本日は、頼と狐塚が休暇なので、月極と三人で新作VRMMOの話しをするために訪れたのである。そこに黒麦もいて(そして大変それは嬉しかった)、ただし粋龍の姿が無いため(それも大変嬉しかった)、狐塚が首を傾げた。

 するとお茶を出していた黒麦が、狐塚の正面に座り大きく溜息をついた。

「急な作業が入ったんだって」
「仕事でデェト潰すとか男の鏡だなァ」

 揶揄するように頼が笑う。

「すごい意外。俺なら若葉優先だけどな。粋龍も絶対そうだと思ってた」

 月極がそう言ってから、腕を組んだ。

「……多分嘘だよ。降大は、急な作業を基本的に入れない」

 黒麦が静かに瞼を伏せて、俯いた。

「そりゃそうだろうなァ。本当に急な作業だったとしたら、断る自由在るし。粋龍の仕事内容からすれば」
「なんやろ、師匠浮気?」

 狐塚が冗談めかしてそう言うと、黒麦の表情が強ばった。

「……え?」

 まさかそんな反応が返ってくるとは思わず、狐塚が笑みを引きつらせる。

「……無いと思うけど……ただログアウト不可になる前のことも考えると、八割方そう言うときは、降大は誰かと会ってる」

 無表情でポツリと言った黒麦を見て、月極と頼が恐る恐る顔を見合わせる。

「浮気じゃないとしても、僕には分からない交友関係かな」

 それから諦観するように苦笑して黒麦が立ち上がった。

「クッキー焼けたみたいだから、取ってくる」
「「「……」」」

 何とはなしに言葉を失い、残された三人は頷いた。
 黒麦の姿がキッチンへと消えてから、頼と狐塚が月極に向かって身を乗り出す。

「ちょ、ツッキー、俺地雷踏んでもうた?」
「知らない。知らないって」
「粋龍の交友関係とか、どうなってるんだよ?」
「もっと知らないから!」
「これまでにもあったん? 急な作業」
「……んー、二回くらい合った。で、一回は……友達と会ってたらしい。プロミネンスに派遣で入ってるプログラマ。紫紺が見かけたって言ってた」
「おいおいおい、それ、粋龍にも見かけたって言ったのかァ?」
「いや、俺は言ってないけど……」

 ひそひそと三人が話していると、黒麦が戻ってきた。
 三人はそれまでの話しなど素知らぬふりで世間話に切り替える。

「それにしても、師匠の新作動画、CMに採用されとったね」
「おぅ。ありゃ良いできだよなァ」
「わー、クッキー美味そう!」

 黒麦は彼等の様子に静かに笑うと、テーブルの上に茶菓子を置いた。

「――僕は平気だよ」
「「「……」」」

 月極達が何を話していたか悟った様子で、黒麦が呟いた。
 いたたまれなくなって、狐塚はテーブルの下で拳を握る。

 表情こそ笑顔を浮かべていたが、嫌な汗が伝ってくる。勿論己の失言のせいで黒麦が心を痛めていることも理由だし、粋龍が黒麦の頭を悩ませているというのがしゃくに障るというのもあるし、第一浮気はないだろうなと思いつつも……とりあえず色々な意味で何をやっているんだアイツは、という心境である。

「美味いな」

 頼がクッキーを食べてから、そう告げた。
 そして携帯電話を取り出した。

「電話してみるかァ?」
「え、いいよ、別に」
「ネガティブな想像してたってどうにも何ねぇだろ。大体、粋龍が浮気はないだろしなァ」

 頼はそう言うと、電話を耳にあてがった。
 月極と黒麦が、頼をじっと見る。
 頼はと言えば、狐塚に視線を向けて、唇の片端を持ち上げた。

 その表情と、視線が釘付けになっている二人を確認し、狐塚は一人静かに頷いて己のスマホのアラームをセットした。

「出なかった」

 頼がそう言ったのを見て、月極と黒麦がどちらともなく肩を落とす。

 狐塚のスマートフォンが音を立てたのは、それから五分後のことだった。

「悪いねんなぁ、俺に『は』ほんまに急用来たわ」
「ちょ、狐塚!」

 立ち上がった狐塚に、言葉を慎めと思いながら、月極が眉を顰める。

「行ってこい、さっさと確認して戻って来いよォ」
「うんうん。貴重な黒麦と一緒にいられる機会やし、当然やんね」

 狐塚はそう言うと笑顔を浮かべて、黒麦を見た。

「じゃ、ちょこっと行ってくるわ」

 黒麦は静かに微笑んで手を振った。

 そんなこんなで、狐塚は自作自演で急用を作り(全くの嘘ではない。粋龍の急作業とやらの確認にいくのだから)、黒麦の家を出た。

 頼が視線をひきつけてくれたことに感謝しつつも、自分が取りたい行動を予測されるこの感じがなんだか、気楽なようで気持ちも悪い。

 そう思いつつ、一人で行ったことは一度もない粋龍のマンションを目指した。
 家の場所自体は知っていたが、部屋に入ったこともない。

 場所を知っている理由は、まだ≪クラウンズ・ゲート≫が平和だった頃に、調査で頼と見に行ったことがあるからである。

 オートロックだったため、適当に部屋番号を押して、狐塚はハンカチを口に当てた。

『はい』
「宅配便です」
『はい!』

 すぐに扉が開いたので、不用心だなぁと思いながら、ハンカチをしまう。

 何となく部屋の前まで行かなければ、ここで粋龍に追い返されるような気がしたために取った行動である。

 エレベーターに乗り、目指す部屋の前に立つ。

 部屋番号を確認し、一人暮らしの学生にしてはなるほど良い部屋に住んでいるなぁと考えながら、呼び鈴を鳴らした。



「っ」

 ピンポンピンポンピンポンピンポン―――……。

「……うるせぇ」

 呟きながら粋龍は目をさました。
 咳き込んでから時計を見ると、午後二時だった。

 エントランスの鍵を開けた覚えは無い。だが、合い鍵を持っている黒麦であれば、エントランスを開けた後、この部屋の鍵も開けられる。流石にチェーンはかけてあるが、いくらなんでも扉が開けば、目をさます自信が粋龍にはあった。

 この部屋の合い鍵を持っていない人物(黒麦と不動産業者以外)で、エントランスを開けられるのは、宅配便の業者くらいのものだ。部屋の扉のすぐ外にBOXがあるため、一軒にだけ下の鍵を開けて貰い、後は一気に配送していく宅配業者はそれなりにいる。そして直接受け取る指定があるモノを持ってきているとしたら、時間指定もあるだろうし、しつこく呼び鈴を鳴らしてくることもあるだろう。

 などと考えて、目を擦ってから、粋龍は重い体を引きずってエントランスへと向かった。

「はい」

 我ながら刺々しい声だなと思いながら、粋龍はインターフォンを手に取った。
 カメラの映像には誰も映っていないが、未だに呼び鈴の音は響き続けている。
 一体どういう事だろう。

『宅配便です』

 ぐぐもった声が聞こえたので、粋龍は眼を細めた。

「差出人は?」
『プロミネンス社の紫野様です』

 続いた声に、粋龍は眉を顰めた。

 紫紺からの荷物ならば、来てもおかしくない心当たりがある。中々に紫紺は適当なところも持ち合わせているため、送ったという連絡がない場合もある。インターフォンにうつっていないのはきっと偶然だろうと判断し、粋龍は扉まで向かった。さっさと受け取って、再び眠りたかった。早々不審者が来るとも思えなかったのである。その為、チェーンを空けて、扉を開け――……そして閉めようとした。

「ちょ、ちょぉっと待ってや師匠」
「足をどけろ。潰れるぞ」
「痛! 痛いわ! ちょ、ほんまに潰れてまう」
「……何の用だ、狐塚」

 溜息をつきながら、少しだけ粋龍は扉を開けた。
 するとその隙間から、引きつった笑みを浮かべて、狐塚が視線を向ける。

「近くまで来たから顔を見に」
「……」

 大方黒麦と月極の所に行っていて、今日の不在の理由を確認しにでも来たのだろう。

 眼を細めた粋龍は、どちらにしろ狐塚に風邪だと話せば他にも伝わるだろうと判断して、咳を押し殺した。兎に角完治するまでは、知られたくない。第一いくら狐塚が相手でも、風邪を移してしまうかも知れないのは、気分が悪い。

「今、一人やの?」
「……」

 その言葉に粋龍は頷こうとして、止めた。

「来客中だ。帰ってくれ」
「……うーん」

 一方の狐塚はと言えば、その言葉になんと続ければいいのか迷った。

 浮気か否かの確認に来ているわけだから、来客中だというのであれば、それこそ確認しなければならない。

 ――と考えてここへ来たため、まず真っ先に、扉が開いたその瞬間、狐塚はエントランスの靴を確認していた。どこからどう考えても、粋龍自身のものらしい靴が二足在るだけだった。サイズからして確実だろう。外出用と、サンダルだ。急な来客だとしたら、普通下駄箱に靴をしまわないような気がする、この雰囲気であるならば。

 である以上中には、粋龍一人であるはずだ。

 ――俺のことを帰す口実か。

 そう考えて狐塚は腕を組んだ。

 おかしい。会いたくないのはお互い様だとしても、だ。狐塚がここにいる以上、黒麦の家に行くのは火を見るより明らかなのが現状だ。第一、いくら会いたくないなどとは言っても、ここまで無碍に追い返されるというのも、不信である。

 普段の粋龍だったら、なんだかんだで用件くらいは聞いてきそうだ。これは、何か、言いたくない何かがあるのだろう。それは黒麦にも知られたくないことであるはずだ――家に一人でいて知られたくない……なんだろう。

「今日急用らしいけど、それって来客?」
「おぅ。じゃあな」
「……師匠、もしかして風邪?」
「な」

 狐塚の言葉に、粋龍があからさまに息を飲んだ。
 やっぱりそうなのかと狐塚は、苦笑をかみ殺した。
 黒麦に移したくないから黙っているのだろう。

「なーんて、そんなわけないよね。夏風邪は馬鹿しかひかんていうし」

 何となくその気持ちが分かるため、狐塚は暫く知らんぷりしようと決めた。

「……ああ、そうだな」

 満面の笑みを浮かべている狐塚を見て、粋龍は顔を背けた。
 何故気づかれたのだろうかとヒヤヒヤしたのだが、気づいていないらしい。
 狐塚は扉に手をかけると、粋龍を見上げた。

「とりあえず帰ってくれ」
「まぁまぁそんな連れない事言わんといてや。俺大人しくしてるから、ちょっと家に上げてや」
「だから――」
「黒麦のことで話しがあるんよ」

 今すぐ横になりたいというのに、なんて事だと思いながら、粋龍は深々と目を伏せた。
 しかも家に上げれば、客がいないことなど分かってしまう。
 風邪が移る確率も格段に上がる。

 だが、黒麦の話しと言われたら、気にならないと言ったら嘘になる。

「……十分後にまた来てくれ。帰すから、客を」
「んー、ええけど。何、俺に会わせたくないん?」
「何で会わせなきゃならないんだ」
「浮気相手とか?」
「……」

 にこにこと笑っている狐塚を殴ってやりたい気持ちになったが、あくまでも気持ちだけであるし、第一体がついていくほど元気ではなかった。

「……かもな。じゃあな」

 それだけ言うと、粋龍は扉を閉めた。
 今度は狐塚も素直にそれを見守った。
 しっかりと扉を閉めて、チェーンをかけ、粋龍はそのまま床に横になった。

 冷たくて気持ちが良い。
 勿論十分後に扉を開ける気など無い。

 ――確かに若葉の話って言うのは気になる。気にならないわけがない。

 だが、風邪を黒麦(と一応狐塚)に移すよりは、良いだろう。

 浮気疑惑だってそんな事実はないのだから、どうにかなる(なってほしい)。朦朧とする意識の中で、全然熱が下がっていないことを再度自覚し、粋龍は溜息をついた。



 閉まった扉を暫しの間眺めていた狐塚もまた、無表情になり溜息を同じ頃ついていた。
 いくらなんでも、病人は放っておけないだろう。

 扉の外に、外出監視用のカメラを置いて、狐塚は外へと向かった。
 来る途中にドラッグストアがあったことを思い出したのだ。

 一通りの風邪薬と、レトルトのおかゆと飲み物、熱をさましてくれそうなアイテムを購入し、きっちり九分でマンションの前まで戻る。その間人の出入りがなかったことは確認してある。

「どうせあける気無いんやろうね」

 狐塚は一人呟いてから、呼び鈴を押した。
 やはり無反応である。

 だが、先ほど扉に触って、チェーンと鍵穴に細工したため、何の問題もなかった。どちらも電子化されているため、解除装置で簡単に開く。

「師匠、十分たったよん」
「……っ……お前……」

 床に横たわったまま、視線だけで粋龍が狐塚を見た。
 表情がどうしようもなく険しい。
 中へと入り、きちんと扉を閉めて施錠してから、狐塚がビニール袋を床に置いた。

「ほんまにやばそうやんね。立てる?」
「帰れ」
「ええ、ひどいわ」
「お前と話す気力がない」
「それは元気な時も無いやん。黒麦には言わんから安心してええよ。看病されてる師匠とか羨ましすぎやから。けど言えばいいのに、とも思うわ」
「移るだろ」
「過保護やねんなぁ」
「馬鹿、お前に移るって言ってるんだ。帰れ」
「っ」

 その言葉に何度か瞬きをしてから、狐塚が破顔した。
 なんだかんだで口は悪いが粋龍は優しい。
 自分とは真逆だなと狐塚は思う。

「馬鹿は酷いわぁ。折角お薬とか買ってきたんやし、感謝して欲しい所なんやけど」
「悪いな……財布、とってくる」
「ええよ、別に。後で倍返しにして貰うから」
「なおさら今払う」
「それよりほんまに立てないん?」
「……大丈夫だ」

 粋龍はそう言うと、よろよろと立ち上がった。ビニール袋を手にし、靴を脱いでから、狐塚がその背を支える。何とか室内へと戻り、粋龍が今度はソファに倒れ込んだ。

 よろよろとその手が煙草へと伸びるのを、狐塚が呆れたように見る。

「風邪の時くらい煙草止めた方がいいんやないの?」
「次に何時ここに座れるか分からない以上、吸い溜だ」

 銜えて火をつけた粋龍の姿に、溜息をつきながら狐塚が言う。

「副流煙で黒麦になんかあったら、ゆるさんよ」
「おぅ」
「で、症状は?」
「肺ガン」
「や、副流煙のもたらす害じゃなくて、師匠の風邪の。わからんかったから、いろんな種類買ってきたんやけど。それともなんや、リアルそれ?」
「風邪だ。多分」
「熱は?」
「夜中はあった」
「今も測った方がええやろ。体温計は?」
「そこの棚」

 粋龍の言葉に頷いて、狐塚がチェストへと向かう。

「思うたより、綺麗な部屋やんね。寧ろ綺麗すぎてひくわ」
「漁るな」
「あれ、風邪薬あったん?」
「空箱だ」
「わぁ……薬箱の中空箱だらけやん。ゴミを綺麗に整理する意味が分からん」
「さっさと体温計を取ってくれ。そのつもりがないんなら、帰ってくれ」
「取って下さいお願いしますやんね」
「帰れ」
「はいはい、冗談やし。ほら」

 狐塚はそう言って体温計を投げると、部屋の中を一瞥した。
 寝室はあっちか、ダイニングはあっちか、と、これから必要そうな場所を把握する。
 思いの外粋龍の具合は悪そうだ。

 少なくとも黒麦は呼んだ方が良いだろうし、それ以前に吹雪を呼んだ方が良いかもしれない。熱次第だし、見た目はあまり変化はないが、受け答えに余裕が感じられない。

「何度?」

 電子音で視線を向け、真顔で狐塚が聞いた。

「……おぅ。まぁまぁ。解熱剤あるか?」
「まぁまぁ、て。あるけど。で、結局他の症状は?」
「咳と目眩と全身の痛み」
「咳しとるんなら、煙草消そうか。食欲は?」
「無い。ただし吐き気もない」

 素直に煙草を消しながら粋龍が言った。

「お腹は?」
「痛くないし、緩くもない。脱水もないだろうな」

 それを聴きながら狐塚が風邪薬を選び、粋龍の側に置いた。それからグラスを取りに行き、テーブルの上に置く。コポコポと飲み物を注いでから、粋龍に手渡した。

「助かった」
「師匠に礼言われるって何や新鮮やねぇ」

 狐塚はそう言って笑いながら、テーブルに置かれている体温計をのぞき込んだ。
 そして動作を止めた。

 ――40.7℃。

「ちょ、師匠、薬の飲む止めや!」
「……?」

 何だという顔で、飲み込みながら粋龍は狐塚を見る。

「40℃越えてるやん、市販薬のレベルや無い」
「……」

 焦ったような狐塚に対し、粋龍が曖昧に笑った。

「病院できちんとした薬って、うわぁもう飲んだ後か……どうするん?」

 市販薬と処方箋薬を重ねて飲むのも体に悪いだろう。
 狐塚は頭痛を覚えて、思わず両目を片手で覆った。

「何でこんな高熱なのに病院にいかんの? 薬無いって事は、そう言うことやんね?」
「ん、まぁ」
「っていうか、コレは黒麦に正直に話して、呼んで頼るべきとこなんと違うん!?」
「あー……」

 作り笑いを浮かべている粋龍を見て、狐塚が眼を細めた。

「馬鹿なの? リアル死ぬの? って感じやん」
「……なんだ、その。ま、大丈夫だ。悪かったな、色々と。助かった。移らないうちに帰ってくれ」
「帰れるわけないやろ。とりあえずさっさとベッドいかんと」
「ほら、風邪の時って一人になりたいだろ」
「それも一理あるけどな、よし分かった、寝室閉めきっといてやるわ」
「有難い心遣いだけどな、知らない奴が家にいるって分かってたら気が休まらないだろ」
「だから黒麦を――」
「……狐塚。頼む、止めろ」
「っ……」

 言葉を探しながら、とりあえず狐塚は、立ち上がった粋龍を支えた。
 それから寝室へと向かいベッドに倒れ込んだ粋龍を見据え、腕を組む。

「師匠。いくらなんでも黒麦が可哀想や」
「……」
「好きな相手が病気だって言うのに何もできないって、逆の立場ならどう思うん?」
「……」
「いや、ここまで体調悪かったら、普通に他の誰でも良いから呼ぶべきやんね」
「……」
「これまで風邪ひいたときはどうしてたん?」
「……」
「いつもこんなに熱たかいん?」

 狐塚の言いたいことは分かったが、粋龍は朦朧とする意識の中、静かに首を振った。

「兎に角若葉には移したくない。熱は、ここまでは無い。とりあえず、俺は寝る。適当に帰ってくれ。有難うな」

 そこが限界だった。
 そのまま粋龍は意識を手放すように眠りに落ちた。


「……そう言われてもなぁ」

 狐塚は溜息をつくと、とりあえず寝室を出た。
 それから先ほどまで粋龍が座っていたソファに座り、膝を組む。

 人に、黒麦に移したくないという気持ちは分かる。
 だが、放って置いて粋龍の身に何かあったら、それこそ黒麦は悲しむだろう。
 とりあえず、確実に吹雪には連絡した方が良いだろうと考えながら、狐塚は目を伏せた。

 そのまま、気がつくと眠っていた。


「ん」

 暗闇の中粋龍は目をさました。
 少しだけからだが楽になっている。

 薬が効いたのだろうと狐塚に感謝しつつ、床へと降りる。

 そして立ち上がりながら、まだ熱があるなと自覚した。ただし先ほどよりは低い気がする。狐塚はもう帰っただろうかと考えながら寝室から出て、粋龍は思わず眼を細めた。

 ソファで狐塚が眠っている。
 時計を見ると夜の十一時だった。

 歩み寄り、体温計を手に取る。側にあったウェットティッシュでアルコール消毒してから、再度体温計を挟んだ。そうしながら、狐塚をのぞき込む。

「狐塚」
「……っ」
「起きろ、狐塚。終電大丈夫か?」
「え……ああ……おはよう師匠」
「色々と助かった。もう夜だ。帰って良いから、本当に」
「んー……――あれ……んんん?」

 頷こうとした狐塚が、その時引きつった笑みを浮かべて顔を上げた。

「どうした?」

 首を傾げながら、粋龍は体温計を確認する。38.7度まで下がっていた。それでもまだまだ高熱だ。

「ちょ、体温計かして」
「ん? ああ」

 最早熱を隠す意味を感じず、粋龍はそれを手渡した。
 しかし狐塚は、リセットして、自分の体温を測り始めた。

「……」
「……」
「……おい。なんで熱はかってるんだよ?」
「や、別に?」

 狐塚は笑っているが、空調で涼しいはずの室内にいるのに、粒のような汗を掻いている。
電子音が響くと同時に、狐塚が体温を確認した。

「……」
「見せろよ、狐塚」
「……師匠。夏風邪は馬鹿しかひかんてデマやんね」

 朗らかに狐塚はそう言って、体温計を差し出した。
 ――38.2度。

「だから帰れってあれほど……!」
「悪い、もう帰れん。俺、平熱かなり低いから、今もう既に意識喪失しそうや」
「って、おい」

 ガクンと狐塚がソファに突っ伏した。

「喉乾いた……っ」

 そう言った直後、狐塚が盛大に咳き込み始めた。

 自分自身の体も重かったが、明らかに自分が移しただろう状況なので、キッチンへと向かいグラスを取ってくる。そこに飲み物を注ぎ、狐塚へと手渡した。

「師匠……やばい、天井がグルグルしとるんよ」
「とりあえず薬のめ」
「お腹減った」
「さっきお前、何か食べ物買ってきたか?」
「おかゆ買ってきたんやけど、俺、アレ食べられへんの」
「なんでだ?」
「嫌いなんよ」
「ふざけんな、ぼけ。我慢して食うか、空腹を我慢しろ」
「風邪の時はうどんがええなぁ」
「……っ、全くどういう神経してるんだよ」

 吐き捨てるように言いながらも、重い体を引きずって粋龍はキッチンへと向かった。
 ネギと油揚げを切って、鍋に入れて水を入れて、火をつける。
 目分量で適当にめんつゆを入れて、更に沸騰した頃、適当にうどんを入れた。

 茹でながら、換気扇の下で煙草を吸う。
 二本ほど吸い、その後出来上がったうどんを持って部屋へと戻った。
 味見をする食欲すらない。

「師匠有難う」
「全くだな」
「しかも思ったより美味いわ」

 食べ始めた狐塚には応えず、粋龍は寝室へと戻り、来客用の布団を引っ張り出してきて床に投げた。

「自分でしいて適当に寝ろ」
「アイスと桃缶が食べたいわぁ」
「俺が食べたいわ。さっさと薬を飲め。っていうか本当お前何しに来たんだよ」
「うん。俺も素で、申し訳ないわ、コレは」

 そう言うと狐塚はまた盛大に咳き込んだ。

 咳き込みながら狐塚は、まさか本当にうどんを作ってくれるとは思っていなかったので、かなり悪いなぁと思っていた。しかしながら半分意識が朦朧としているため、うまく頭が回らない。食べ終えた後素直に薬を飲んでいると、軽くシャワーを浴びてきた様子で粋龍が出てきた。

「師匠師匠、ほんま申し訳ないんやけど、あのさ」

 おずおずと狐塚が声をかける。

「服だろ?」

 ぽいっとそこへ粋龍がスエットの下とTシャツを投げた。

「助かります」
「俺も薬飲んでまた寝る」
「おやすみ」
「おぅ」

 そんなやりとりをして、粋龍が部屋の電気を消した。


 その様にして、病人が一人増え、その日は眠った。



 ピンポンピンポンピンポンピンポン。
 ――翌朝。

 結局昨夜は狐塚が帰ってこなかったため、頼が粋龍の家へと訪れた。

 月極と黒麦は、本当に狐塚は仕事で抜けたと思っている風だったので、何も知らない。
 別にそれはそれで良いと思いながら、頼は、粋龍の部屋の前で首を傾げていた。

 携帯に連絡もない。
 かけても出ない。

 珍しいなと思いながら頼は暫く待った。
 すると大分時間をおいてから、中から声がかかった。

『はい』
「警察だ」
『頼か』
「おぅ。おい、狐塚来てねぇか?」
『……今あける』

 粋龍の声に、頼は少し驚いた。
 ここにいるんなら、昨夜戻ってこなかったのが少し不思議だった。
 扉が開くと、真夏だというのに長袖を着込んでいる粋龍の姿があった。

「入ってくれ」
「お邪魔します。なんだ、具合でも悪いのかァ?」
「まぁな。狐塚を連れてってくれ」
「連れてく? どこにだ?」

 首を傾げつつ、後ろについて中へとはいると、ぐったりと布団に横になっている狐塚の姿があった。

「……なにやってんだァ、お前」
「師匠に風邪移された」
「勝手に移ったんだろうが。それより頼、さっさと病院に連れて行ってやってくれ」
「おぅ。あ、でも待て、移されたって事は、てめぇも風邪なんだろ? 熱は?」
「朝の時点で、師匠が39度、俺が38度。粋龍師匠、今日で二日熱下がってないみたいやんね」
「明らかにうどん作らせたり狐塚のせいだろ、安静にできてないのは。つぅか余計なことを言うな」
「ほぉう。風邪ひいたって言うのを内緒にして、急作業、と。ま、それはいい。そして狐塚は、本当に何やってんだよ。俺様は、ちょぉっとコレはフォローできねぇな」
「うるさいわ。俺かて好きでうつったんやない」
「とりあえず、黒麦に連絡するぞ」
「やめろ。これ以上移したくないんだよ」
「けどなぁ、俺様はこれから仕事だから、今すぐ病院に連れてくのは無理だぞ。狐塚の欠席は把握したけどな。良し、じゃあとりあえず、月極でどうだ?」
「月極も無しだ」
「じゃあどうすんだよお前ら。クルマできてるから病院までは送ってやれるけどな、帰ってこられないだろう。タクるか?」
「や、俺は頼と帰るよ。これ以上師匠に迷惑かけられんわ」
「そうしてくれ」
「無理だ。仕事に直だ」
「え」
「会議だ。今日はそれだけだから終わったらまた来てやる。それまで持ちこたえろ」
「何時に終わるんだ、頼」
「んー、四時だからこっちに来るのは六時って所だな。長引かなければ。それまで狐塚のことを頼む」
「……」

 かなり険しい顔で渋々と言った調子で粋龍が頷いた。
 狐塚は、両手で顔を覆う。

「師匠ゴメン」
「いや、いい。元はと言えば移したのは俺だ」

 二人のその様子に、ポンと頼が手を打った。

「赤鐘呼ぶか。アイツ暇だろ、多分。昨日で臨時株主総会終わりだ」
「「……」」

 粋龍と狐塚が、どちらともなく息も絶え絶えな様子で頷いた。

「もしもし」

 赤鐘は着信に気がついて電話に出た。

『よぉ。久しぶりだな。今何してるんだ?』

 頼から電話だなんて珍しいなと思いながら、赤鐘は振り返った。
 後ろのベッドでは、日廻と紫紺が寝ている。

「あー、なんかねぇ、プロミネンス社で悪質な風邪が流行ってるみたいでさぁ、みんな風邪ひいちゃってるから看病してるんだよね」
『……みんな? 日廻と紫紺か?』
「そんな感じ。なんかねぇ、同じ風邪が葉澄市で流行ってて、吹雪がかかって、たまたま会ってた紫紺に移って、その日くらいに紫紺と粋龍も会ってるみたいだったから、粋龍とか黒麦とか月極とかひいてないかなぁって思ってたんだよね、丁度」
『粋龍がひいた。で、狐塚に移ってる。そんなにすぐ移るのか、コレ?』
「まぁ流行ってるのは間違いないみたいだけど、かかってる人と会ってから三日くらい平気だと大丈夫みたいだね。免疫なのかな。俺は大丈夫だよ、今のところ」
『三日なら、丁度吹雪と会ってから三日だから俺はセーフだな』
「一見インフルエンザだけど、ただの風邪らしいよ。風邪って言うのかな、何かねぇ原因不明の熱と咳みたい。兎に角水分だって。まぁでも病院いった方が良いかも。後は、高熱だから念のため、付き添いで看病できる人がいた方が良いって」
『それがいねぇんだよなァ。黒麦と月極には移したくないから呼びたくないんだとさ』
「え、粋龍はいつからひいてるの?」
『二日前くらいって聞いてる』
「ああ。紫紺と会ったの五日前くらいだろうから、間違いなくこっちから移ってそうだね。アレ、だけどその間、黒麦達と会ってないの?」

 瞬きをしながら赤鐘は聞いた。

「おい、粋龍。最後に黒麦か月極と会ったのは何時だ?」
「ん……四日前」

『四日前だそうだ』
「じゃあ、移ってるんならもう移ってるんじゃないかな?」
『なるほど』
「まぁ病気の時はお互い様だしさぁ、気持ちも分からないでもないけど、呼んだ方が良いと思うよ。後、青兎も風邪みたいだから」
『了解。伝えとく』

 そんなやりとりをして電話を切った後、頼は粋龍に向き直った。

「とりあえず、黒麦を呼ぶことで話はまとまった」
「……そうか」

 疲れたように粋龍が頷いた。
 恐らく通話の話題が聞こえていたのだろう。

「そう言えば、何で師匠、急用だなんて言って紫紺と会ったん?」

 狐塚が、そもそもの来訪目的を思い出して尋ねた。

「何の話だ?」
「狐塚。紫紺じゃなくて、プログラマの友人とやらと会ってるところに紫紺が遭遇したんじゃなかったか?」

 頼が捕捉すると、粋龍が腕を組んだ。

「何で知ってるんだ?」
「紫紺が、お前にあったって月極か黒麦かに言ったらしい」
「あの野郎……口止めしただろうが」

 粋龍の顔が険しくなる。

「黒麦にはいえねぇような事なのか?」
「言えない。他のVRMMORPG絡みの話しなんだよ。お前らもこれ以上俺につっこむな」
「ちょ師匠それまさか、例のアレじゃないやろな」
狐塚の表情が変わった。頼が舌打ちする。
「≪RED≫と≪ゾディアック・コード≫なら関わるんじゃねぇぞ。どっちも今日の会議の議題だ」
「兎に角この話は止めだ」
「そうやんね。師匠の選択は正しい。黒麦にもツッキーにも言わない方が良いやんね」
「……ん。あ」

 そこで頼は息を飲んだ。
 直感が、何かを訴えた。

「かかってないのが、赤鐘と俺と黒麦と月極、か。で、葉澄市で流行中」
「それがなんやのん?」
「≪RED≫やってる奴がこの風邪にかかってる。≪RED≫は、葉澄市限定クローズドβ公開中」
「いやいやいや、VRと現実は関係ないだろ」

 あり得ないと言った調子で粋龍が首を振った。

「もしこの推測が当たってれば、今日の会議の連中の内、休む奴と休まない奴が今の時点で予測できる。当たってれば、会議は中止だな。欠席ばっかりで」

 頼自身も半信半疑だったから、楽しそうに笑いながら今日の出欠リストを確認した。

「……」

 そして眉を顰めた。

「……頼、悪い冗談は止めてや」
「……頼?」

 狐塚と粋龍が顔を強ばらせる。

「――良かったな。会議が休みになったから、お前らを病院に連れて行ってやれるぞ」
「「……」」
「ただし行き先は、高度VR総合専門医療研究所に決まったけどな」
「頼、待ってや。ほんまにVR絡みなら、そこいったら、感染者が爆発的に増える可能性あるやん」
「そうだ。まだ感染症関連の専門病院の方がいいだろう」
「海外事例から、VR感染症研究棟がある。感染症で言うとP4でB相当だァ。安心してモルモットになれ」
「断る」

 粋龍は断言した。

「とりあえず狐塚を連れてそこに行け。俺はここにいる」

 その様子に狐塚が、ペットボトルを手に取りながら首を傾げた。

「なんや、思い返してみると、はなっから師匠、病院行きたく無さそうやんね。なんで?」
「……」
「そうなのかァ? 見過ごせないな」

 頼が欠席通知を一斉送信しながら呟いた。
 粋龍は何も言わずに顔を背ける。その手が、煙草へと伸びた。

「粋龍。お前そもそも、どこからこのネタし入れたんだよ? その友達って奴か?」
「師匠。何を何処までどんな風にしっとるん?」
「今は言えない」

 粋龍はそう言うと、煙草を深く吸い込んだ。


 招待状――そう呼ぶのが相応しいのかは分からないが、兎角そうとしか呼べない手紙が届いたのは二週間前のことだった。

 手紙と共に届いたのは、新作VRMMORPGのパッケージと、二枚の写真だった。それを見て粋龍は、黒麦との約束を、急用という事で断り、≪RED≫にログインした。

 それが契機となり、プログラマの友人と連絡を取り始め、緊急連絡を貰ったのが五日前。その時に紫紺に遭遇したのである。

 そして――招待状の差し出し主と、今日の夜、VR上で会うことになっているのである。

 ≪クラウンズ・ゲート≫の一件以来、意識喪失経験のあるVR利用者は、著しい体調不良の場合、検査入院を進められることが圧倒的に増えている。二日も高熱が続いている以上、嫌一日であってもこの熱ならば、八割方、一日では帰ることができない。

「兎に角、明日の朝になったら病院には行く。俺のことは放って置いてくれ。そしていい加減、帰ってくれ。頼が休暇になったんなら、狐塚は帰れんだろ」

「「……」」

 粋龍の様子に、狐塚と頼が視線を交わした。
 何せ高熱であること事態を隠して一人で過ごそうとしていた粋龍だ。
 体調不良よりもまずいことなど、尚更自分から口外などしないだろう。

 この黙り込む癖がなければ、もっと黒麦と早くに上手くいっていたのではないだろうかというのは、狐塚と頼の共通した見解だ。

「俺もモルモットは嫌や。師匠、かくまってや」
「帰れ」
「粋龍。黒麦と月極に黙っておいてやるから、狐塚を置いてくれ。俺様はちょっと出かけてくる」
「……黙ってるって本当だろうな?」
「おぅ。ついでに何か買ってきてやる、すぐ戻る。何か欲しいモノはあるか?」
「俺は、アイス食べたいわぁ」
「……貼るタイプの咳止め」

 そう言って煙草の火を消し、粋龍が立ち上がった。

「悪い……限界だ、寝てくる」
「おぅ。ゆっくり休め」

 頼は頷きながら、粋龍の隣に立って、寝室への扉を開ける。
 よろよろとベッドへ向かった粋龍を確信してから、扉を閉めた。
 そして狐塚に振り返る。歩み寄って、声を潜めた。

「お前も寝てろよ」
「……ん。そうやんね。”頼も”」

 視線を交わして頷いた後、頼はコンセントに機具を押し込んでから、マンションを後にした。