【0】RealEnigmaticDynasty





 きっと僕は、カメラのような存在だ。ただそこで起きたことを、忠実に語る語り部として存在しているのだろう。それで良い、それが良かった。時に僕は時間や距離を超越して、誰かの心の中を読み取ってここに記すだろう。

 それが、RealEnigmaticDynasty――通称REDを監視管理する者としての使命なのだから。

「玲文」

 声をかけられて僕は我に返った。
 僕の隣に、コーヒーのカップを置いたのは、紫野紺しのこんという同僚だった。

 鐘野音玲文は、僕の名前だ。

 海外の大学をVR上でスキップして卒業した僕は18歳で、【紫紺】というHNの彼と出会った。その時、僕は【鴉】と名乗っていた。玲文――レイブン、何とはなしにつけたHNで。

 紫野さんは、24歳くらいだったと記憶している。

 僕らが出会ったのは、≪クラウンズ・ゲート≫という半VRMMORPGの世界でだった。

 ログアウト不可になってしまったその世界で、僕は紫紺と共に、ログアウト目指して奮闘したものだ。幸いログアウトできたため、僕らは今、別のVRMMORPGの危機管理をしている。紫野さんをこの仕事に誘ったのも僕だ。

「あんまり根を詰めるなよ」

 紫野さんの声に、僕は苦笑した。

 まだ葉澄市の地域にいる接続可能者に限定して、クローズドβテストが始まったばかりなのである。気を抜くわけにはいかない。それが僕の心情だった。


 RED――RealEnigmaticDynastyは、現実に即した謎の王朝を探索していくVRMMORPGである。新宿・渋谷・原宿・代々木・池袋など、現実そっくりのフィールドを舞台に、地下に続くダンジョンを攻略していくゲームだ。

 最下層にたどり着いた者が、王朝ダンジョンの”王”となる。王位は、PKで簒奪が可能だ。とはいえ、現在の所、攻略者は一人もいない。一人目の到達者には、ラスボスであるそのフィールドの”魔王”が対決相手として存在する。まだ魔王に勝利した者がいないのだ。

 ちなみにフィールドは区切られているが、移動は自由。その上、地下ダンジョンへの入り口は、地区をまたいでいることもある。あるいは一つの地域に二つある場合もあるので、攻略者は何人も生まれる予定だ。

 最終的には、その王に忠誠を誓ったものが、王朝の配下となり、ギルドのような形態をとっていくことを想定している。ギルドとは、ユーザー同士が作り上げる小さな輪だ。ある意味、ギルドマスターが、王となり、ギルドメンバーがその土地を支えるという形になるはずだ。その為に、地下ダンジョンは無数に用意されているのだ。

 0階に位置づけられた、現実そっくりのフィールドにいて露店をしたりPKするもよし、ダンジョンを攻略するのもよし、そんなゲームである。地下へと下るたびに、”敵”であるゾンビの強さや数が増していく。

 職業は、前衛が”長刀使い”と”結界師”、中衛が”銃使い”と”踊り子”、後衛が”式者”と”光鏡”だ。

 基本的な戦い方としては、長刀使いがゾンビを集めて結界師がそれを押さえ、銃使いと式者が攻撃をする。銃と、式神とでだ。踊り子は、バフの専門職――要するに、能力の強化や、敵のステータスにBADを与える役割をしている。光鏡は、回復を担う。
和風ならではの攻撃スタンスを、現代日本に当てはめた形だった。

 今のところ、ログアウト不可などの現象は起きてはいない。

「ま、ちょっと休息しよう」

 紫野さんに言われたので、僕は頷いて、回転椅子を回しながら、カップを手に取った。
 湯気が上るコーヒーは、それでも少しだけ温くなっていた。
 猫舌だから、このくらいが丁度良い。

「ま、大丈夫だろう。俺もログインして見てる限り、何の問題もないし」

 朗らかに笑った紫野さんを見て、僕は胸が騒いだ。
 何かがあった時のために、僕はログインしないでいる。

 しかしそれは要するに、”紫野さん”に何かあった時には、もうそばにはいられないと言う事も意味しているんだ。≪クラウンズ・ゲート≫の中でこそ一緒にいられたのが、今度こそ、僕らは一緒にいるわけにはいかない。

 それにあの頃接続していた僕には、大義名分があった。
 僕は、親戚である、鐘野音明璃かねのねあかり様の秘書もしている。
 僕同様彼もログインすることはない。

 その上、当時はVRMMO自体の研究するという目的もあったが、今はソレもない。

 危機対策の要である僕が、ログインして意識を喪失するなどと言うことはあってはならないのだ。――だから、そばにはいられない。

 本当は多分僕は心配しているのだろう。
 だが、それを自覚するのが嫌だった、怖かった。

 ――僕はもしかしたら、紫野さんの事が好きなのかもしれない。

 だが、違うかもしれない。

 僕は自分の気持ちを測りきれないでいたし、紫野さんからだって冗談めかして好きだと言われたことしかない。おそらく本命は他にいるのだろう。そう思えば、浮かんでくるのは≪クラウンズ・ゲート≫の中で友人だった、そして最終的に”王キング”となった、神足若葉こうたりわかばの顔だった。【黒麦】と名乗っていた、最強の魔術師だった。最初こそ黒づくめだったが、王の装束になってからは、線が細くて何処か儚い印象を与える美青年だった。白磁のような頬と大きな黒い瞳が、今でも印象に残っている。

 僕は、彼と紫野さんが、VRMMOの中で関係を持った事を知っている。

 僕はといえば、一度たりとも、紫野さんとキスをした事も無ければ、手をつないだ事すらない。ただ、そうしたいのかと言われると、それも分からないのだ。

 嫉妬したかと聞かれても、全く分からない。
 それが紫野さんの選択だったのならば、それで良いと思う自分がいた。

 そんなことを考えている僕の前で、今日の出来事をつらつらと紫野さんが語っている。
 我に返ったのは、彼が咳き込んだ時のことだった。

「悪いッ、――」

 嫌な呼吸音と、激しい咳の音がした。

「いつからですか?」

 少なくとも昨日会った時は、咳なんて全くしていなかったし、健康に見えた。

「なんだか、今日ログアウトした後くらいから、ちょっとな。ログアウトして、ドトール行ったら、たまたま【粋龍】がいたんだよ」

 粋龍とは、≪クラウンズ・ゲート≫内で、瀬居降大が使っていたHNだ。
 彼もログアウト不可に巻き込まれた一人である。

 なんでも、動画制作が得意だったらしく、REDでも、正式公開後の戦闘時のエフェクト動画などを誰かが依頼していたらしい。誰が依頼したのかまでは確認してはいなかったが、数日前に仕事を引き受けると連絡があった。

「派遣で入ってる、鈴見すずみと話してたな。鈴見もかなり咳してたから、こりゃ移ったかもな。なぁ、【鴉】看病して」
「とりあえず会社を休んで様子を見てくれ。周囲に移すと迷惑だ」
「え、看病無いの?」
「僕は医者じゃない。息吹先生に見てもらった方が良い」

 息吹風真は、【吹雪】というHNで、やはりログアウト不可に巻き込まれた医師だ。

「あいつも風邪ひいてるみたいなんだよな。最近風邪ひいてる奴多いよな」

 確かにいつもよりも人気がないと思い、僕は頷いた。

「熱は?」
「残念というか当然だけどな、俺は体温計なんか持ち合わせてない」
「今日はもう帰って良いから、きちんと計って下さい。ログアウト不可経験者は、二日以上熱が続いたら、三日目には大学病院で検査する事になってるから」

 僕の言葉に、紫野さんが頷いた。
 僕よりも社会人になって長いから、そういう配慮は、身に付いているのかもしれない。